なぜ「あえて無所属」なのか
昨年、衆議院神奈川八区(横浜市青葉区・川崎市宮前区)の補欠選挙に無所属で立候補した私は、主婦や学生、市民活動家といったボランティアの皆さんの支援を得て、自民党や民主党の公認候補を破って、当選をさせていただくことができた。 選挙期間中、街頭で演説をしていると、通りがかりの一〇人中、七〜八人の方が握手をしてくれたり、声をかけてくださった。その際よく言われたのは、「江田さん、自民党には絶対入らないでね」とか、「自民党に入らない一のなら一票入れますよ」というものだった。一方、「今まで私は民主党を支・持してきたけれど、(鳩山由紀夫氏が再選された)あの代表選とそれに続く幹事長人事に失望したので、今度はあなたに入れる」という声も多かった。有権者の皆さんの間に、大変な政党不信、政党の機能不全に対する憤懣やるかたない思いがあることを肌で感じた。自民党公認で敗北した前回とはうって変わり、ものすごい手応えのある選挙戦を戦うことができたのである。
私がなぜ、「あえて無所属」で立候補したのか。それは、政治家を目指そうとしたとき、現状では「胸を張って出られる政党がなかった」ということに尽きる。自民党はといえば、私がみるところ、その八割は抵抗勢力で、政官業の癒着や既得権益のしがらみを断ち切ることができず、構造改革の足を引っ張りつづけている。一方、野党第一党の民主党も、党内は、右から左の「ごった煮」状態で、国民の生命や財産を守る外交・安全保障といった基本政策すら一本化できない。このような政党に、この国を委ねるわけにもいかないと考えたからだ。
私は、もともと「構造改革論者」だ。以前、自民党公認で立候補したときも、「構造改革なくして景気回復なし」とビラに書き、ポスターには「自民党を変えなければ日本は変わらない」と朱書きするような、とても生意気な新人候補だった。と言うのも、橋本首相の秘書官時代、行革を担当させていただいた経験から、自民党の既得権益の岩盤を打ち砕かないかぎり、本当の構造改革はできないと考えていたからだ。だから、落選の一年後、「改革なくして成長なし」、「自民党を変え、日本を変える」という旗印を掲げて小泉政権が誕生したときは、わが意を得たりという思いだった。
しかし、それから二年近く経つが、残念ながら小泉改革は、きわめて中途半端で、かつ中身が伴っていない。あの頑固一徹、一言居士の小泉首相ですら、抵抗勢力の岩盤をうち砕けないという現実を見て、自民党を中から変えることはできないという結論に達した。これからは、三十代、四十代、五十代そこそこの若手政治家を中心に、新しい、しがらみのない国民本位の政党を作らなければ、との思いを強くしたのである。
無所属議員であるため、国会活動に制約があるのは事実だが、私がそれに不自由を感じたことはない。国会質問の時間配分が少なくても、政府にただしたいことがあれば、「質問趣意書」を出せばいいし、国政調査権にもとづき霞が関にはいくらでも資料要求をすることができる。国会質問がどれだけ政府の意思決定過程に影響するかという問題もある。むしろ表向きのやりとりより、これまで培った人間関係、−国会議員や官僚とのパイプ、さらには昔の秘書官仲間がそれぞれ各省庁の枢要な地位にいて、彼らから電話一本で情報を得られたり、アシストを受けられたりすることのほうが大きい。
また、超党派の議員運盟に加入し、議員立法を手がけるという方法もある。九割が政府提案、一割が議員立法という今の比率を逆転させていくことも必要だ。私もさっそくNPO議員運盟に入ったが、霞が関にいて百本近い法律を書いてきた経験から、お手伝いできることは多いと思っている。もちろん、本格的に政策を実現しようとか、法律を通そうとすれば、政権与党でなければならない。しかし、その置かれた状況は、他の野党議員とて同じことだ。
もっとも、それでは与党自民党の一回生や二回生が何をしているのかという思いもある。彼らは、大政党、大組織の歯車以上のことをしているのか。派閥に属し、国民とは関係ないところで、その雑巾がけ(雑務)を強いられているのではないか。私は幸い、二〇年間、首相官邸や霞が関で政治や行政の勉強をさせていただいた。法案の賛否も当然白分で決める。考えようによってはインデペンデント(独立)の私のほうがましかもしれない。衆参合わせて七二七人もの国会議員がいて、全員が同じような議員活動をすることはない。私のような議員にも、「あえて無所属」なりの存在理由はあると思う。 |