 |  |  | 元橋本首相秘書官
衆議院議員 江田憲司氏 46歳。東大法学部卒。通産省(経済産業省)入省後、1996年1月に発足した橋本龍太郎内閣で首相秘書官に就任。 同内閣総辞職時に退職。一度の落選をへて、昨年の衆議院補欠選挙に無所属で当選。桐蔭横浜大学法学部教授でもある。 |
衆議院議員の江田憲司氏は、橋本内閣で、通産官僚(当時)として首相秘書官をつとめていた。
 「その前の村山内閣で、私は通産大臣だった橋 本さんに大臣秘書官としてお仕えしていました。 その橋本さんから首相就任後に、『君、ついて来てくれる?』と誘っていただきました」と江田氏はいう。だが当初、橋本首相からの就任要請を彼 は断っていたという。
 「断ったというとすごく偉そうですね(笑)。誤解のないようにいうと、当時の私は39歳の若造で、首相秘書官をつとめるには早すぎると思い、最初は辞退させていただいたんです。官僚出身の首相秘書官は48歳前後の、各省庁で将来の事務次 官候補とよばれている人が就任するポストです から。大企業なら社長室長かな」(江田氏)
 だが組閣作業に入った橋本首相から、再び秘書官への就任要請があり、政務担当ならそう大変でもないと、江田氏も応じた。しかし、これが間違いのもとでしたと彼は苦笑いを浮かべる。
 官邸には5人の首相秘書官がいる。事務担当の4人は財務省、外務省、経済産業省、警察庁からの出向組。政務担当は、小泉首相の飯島勲秘書官のように、議員事務所のベテラン秘書がつく場合が多い。江田氏は異例の抜擢だった。
 「しかも実際は、政務担当が他の4人の秘書官を束ねる首相秘書官で、一番大変でした。首相の毎日のスケジュールの最終的な調整役、政務担当ですから重要課題の政策立案、さらに週末は、地方の行事や選挙応援へ首相に同行しました。もう2年7ヶ月間休日なしで、平均睡眠時間3時間半。人間の生活じゃありませんでしたよ(笑)」
 秘書官時代の一番の思い出は、沖縄の普天間基地の返還交渉だ。恥をかきますよと冷淡だった外務省を頼らず、江田氏が当時の大田昌秀沖縄県知事と密接に連絡をとり、当時のクリントン米国大統領の了解をとって返還にこぎつけた。
 「返還の記者会見のとき、私は首相公邸の玄関でお待ちしていたら、戻っていらした橋本首相が『ありがとう』って抱きついてきてくれて、あのときは感激しましたね」
 橋本内閣の総辞職時に江田氏も退職。その後、昨年の衆議院補欠選挙に無所属で当選した。「官邸は、総理秘書の飯島さんと財務省の丹呉秘書官が、牛耳っているように見えますね。実現した政策を見ると、会社員の医療費3割負担や、公共事業の削減、銀行の競争相手である住宅金融公庫の縮小と、財政の帳尻合わせを重視する財務省の意向がきちんと反映されています」(江田氏)
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