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| 昭和62年7月 ハーバード大学国際問題研究所に留学 |
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| エズラボーゲル教授と |
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フェロー(教授と同待遇の研究員)として、ハンチントン所長(「文明の衝突」の著者)、エズラボーゲル教授(「ジャパンアズナンバーワン」の著者)らと1年間の研究生活。「目から鱗が100枚以上落ちる」。良くも悪くも日本を客観的に。より自由な、しなやかな発想を学ぶ。 |
工業技術院で90年代の科学技術ビジョンを執筆。
「科学と技術の接近共鳴現象」を指摘。最早、基礎、応用、開発といった直線的、単純な研究開発過程は時代遅れ。各過程は融合化しており、今後は日本の弱点である基礎的独創的研究開発の促進を提言。内外の研究者100人以上と面談。 |
湾岸戦争という、我が国が国際貢献のあり方を厳しく問われた激動の時代に、当時の海部首相と宮澤首相の施政方針演説や国会対策を担当する。
イラクがクウェートに侵攻し、90億ドルの国際貢献策が議論され、国連への人的貢献を図るPKO法案が「牛歩国会」で成立するまで、全てを見届ける。この時も「目から鱗が100枚落ちる」。通産省離れがこの頃から始まる。 |
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