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決戦!関ヶ原2000
…三成型サラリーマンなら日本は変わる

TBS系[23/Sep/00]

 今年は、天下分け目の決戦、関ヶ原の戦いから400年。
石田三成についての著書「巨いなる企て」がある堺屋太一氏自ら企画立案する番組。

 当時の徳川vs石田の争いを現代版の会社、サラリーマン社会に置き換えて、教訓を引き出そうとするもの。当時、一介の行政官僚(中堅サラリーマン)だった三成が、如何にして、徳川という大大名(副社長)を相手に「関ヶ原」というビッグプロジェクトを立ち上げることができたか。

 堺屋流に検証しながら、その現代的意義を探る。出演は、堺屋氏本人の他、田原総一郎氏、荒井伸也氏(スーパーサミット社長)、そして私、江田憲司。

 中堅サラリーマンが元気にならないと日本経済の再生はない、とのコンセプトの下、その地位 や権限が低くとも、三成流に「大義名分、スポンサーの獲得、象徴的人物の担ぎ出し」という手法でビッグプロジェクトの創出は可能との立論に立つ。

(写真)1

(田原)
 
江田さんは、橋本内閣当時、官邸の石田三成と言われ、行革を懸命にやろうとした。江田さんの三成観は?

(江田)
 三成に比較されるのはおこがましいが、同情を禁じ得ない。へいくわいもの、横柄者とか、ありとあらゆる誹謗中傷を彼は受けている。私も当時受けた。改革や変革の志には、もちろん共感するが、彼の豊臣家への義、秀吉の遺命を守る、という、現代でも通用する、「筋を通す」という信念に共鳴。 

(田原)
 江田さんは通産官僚を辞めて、橋本さんの秘書官になった。そこで何をやろうとしたのか。どうして辞めたのか? 

(江田)
 20年弱官僚をやってきて、言いようのない閉塞感を感じた。縦割り行政の弊害だ。若手官僚がいくら新しい政策を立案しても、他の省庁に全部相談をかける。そして、いいところは全てカンナをかけられ、結局、国や国民のためには、大したことのない、無難な政策しか出てこないということになる。そういうことを何度も経験した。これから日本が海図のない航海に出るのに、グランドデザインが描けない。もう今のままの霞ヶ関ではできない。ということで、総理秘書官になったからには、(霞ヶ関の再編は)私の夢でもあったので、それを実現しようと思った。

(写真)2

(田原)
 橋本内閣は、その行革にまともに取り組んだが、どんなところに一番苦労したか。

(江田)
 それは、回りがみんな敵というか、霞ヶ関は自分が改革されるのだから、もちろんのこと、その応援団、つまり自民党の族議員、そういった人々の厚い壁をどう打ち破るか、が大変だった。私は全くの黒子、秘書官というのは、その位置づけも明確ではないので、私自身は表向き動けない。そこで、行革担当の首相補佐官には霞ヶ関対策、官邸のお膝元の総務庁長官、官房長官、副長官には、自民党や利害関係団体の説得、交渉、根回しをお願いした。

(田原)
 スポンサー的なものはない?

(江田)
 そう、スポンサーなき改革というか、あったとすれば、国民の声とマスコミ。そう言う意味では、我々は、不十分ながら気を使って、行革会議の議事録を意図的に即日公表した。これは会議内部の意見を公開して、国民の皆さんに判断を求めようとしたものだ。

(田原)
 橋本行革には、大義名分はあった、ロマンもあった、スポンサーもマスコミや世論、一応あった。どこがうまくいかなかったのか。

(江田)
 当時の金融破綻もその一つ。山一證券などの破綻があって、国中が金融、経済、恐慌ということになってしまった。例えば当時、大蔵省の財政と金融の分離という問題がシンボリックなものとしてあったが、これに直接響いた。

(田原)
 象徴的人物はどうか。中曽根行革には土光さんという人がいたが。

(江田)
 おっしゃるとおり、中曽根行革、土光臨調では、大義名分は「増税なき財政再建」、スポンサーは大蔵省、象徴的人物は土光敏夫さん。見事に符合していた。橋本行革には、大義はあった、スポンサーも不十分ながら、世論やマスコミということであった、そして、象徴的人物には、行革会議の会長ということで橋本首相ご自身がなった。残念ながら、土光さん的な方がいなかったからだ。

(田原)
 さっきの話で、行革をやろうとして、現にやった、そこに、金融パニックがドンときた。相反することがきて、相当苦労したと思うが。

(江田)
 苦労した。互いのコンセプトが矛盾した。ただ、民主主義国家というのは、色々な立場の政治家がいて、色々な国民を代表している。妥協という言葉は悪いが、当時は特に、危機管理そのもの、この国がどうなるか、という修羅場だったので、しかたないというか、これが民主主義というか、ある程度妥協せざるを得なかった。

(田原)
 江田さんが総理秘書官を辞めた心境は三成に似ていると思う。ある意味で橋本さんに身を捧げたわけだが、これから江田さん自身の人生は?

(江田)
 これまでは黒子。いずれにせよ、これまでは自分の名前で自分の責任で行動できなかった。今後、一つはっきりとしていることは、これからは自分の名前で自分の責任で何かをしていこうということ。その何かを今探しているところです。

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