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日本経団連機関誌「トレンド」  「公務員制度改革」についての論文寄稿

2005年7月27日 メディア情報 | 新聞・雑誌 tag: , ,

日本経団連機関誌「トレンド」に「公務員制度改革」についての論文寄稿
「公務員制度改革なくして内閣主導なし」

桐蔭横浜大学法学部教授(元首相秘書官)
江 田 憲 司


キャリア官僚の一括採用で省益意識を打破する


 省庁の縦割り行政の閉塞感を打破し、内閣機能を強化するためには、単に、官邸に「経済財政諮問会議」等の戦略会議を置き、ポリティカルアポインティー(政治任用人材)を増やしてもだめだ。各省庁の採用と人事システムの根幹を変える、すなわち、「キャリア官僚の一括採用」と「天下りの禁止」が必要不可欠である。その意味で、現在政府で検討されている「公務員制度改革」なるものを、私は改革とは呼ばない。

 実は、そういう問題意識から、「行政改革会議」最終報告(97年12月)では、一括採用の前段階である「キャリア公務員の一元管理」が提言されていた。とりあえず人事情報の一元化から始めようという趣旨だ。しかし、その後全く検討されていない。なぜなら、当時もそうだったが、「人数が多すぎて管理できるノウハウもないし、それで適正な人事配置ができるのか疑問だ」と、霞が関が反対するからである。

 しかし、私はそうは思わない。これだけOA化や情報化が進んでいるのだから、それぞれの上司の人事評価をパーソナルファイルにデータとしてインプットし蓄積していけばいいのだ。霞ヶ関が反対する本当の理由は、「大蔵一家」「通産一家」意識に象徴される、天下りを含めた各省庁毎の互助会組織の温存にある。

 私も何も「一括採用」にデメリットがないと言っているわけではない。そのデメリットを償って余りあるメリットがあると言っているのだ。例えば、人事院で採用された後は、今日は外務省の安全保障課、明日は経済産業省の産業構造課、財務省の主計官をやっていたと思ったら、今度は厚生労働省で年金問題に取り組んでいる。そうすることで、特定の役所への帰属意識をなくし、省益を国益に優先させようとか、行革で組織防衛に走るといった弊害をなくすことができるのである。民間では、自分の会社を愛し、その会社を守るのは当然である。しかし、税金で支えられ「公僕」である役所が、自らの役所の防衛のために国益を損ねてはならないのだ。

 この関連で大事なことは、「技官制度の廃止」である。各省庁には、法文系の事務官と理工系の技官がおり、特に、技官は、土木、電気、農業といった職種ごとに細分化され、専門化されている。例えば旧建設省の道路局や河川局に入った人は、一生道路行政や河川行政の仕事をし、旧運輸省の港湾局に入った人はずっと港湾行政に携わる。そうすると、人間の情として、その組織に愛着が出てくるのは当然で、それが行革ということになると、抵抗勢力として立ちはだかるのである。技官官僚が元々悪いと言っているのではない。そういう育てられ方をするうちに、人情としては「愛社精神」が出てくるのは、むしろ自然なことなのだ。

 従って私は、「事務官、技官」、「一種、二種、三種」(昔の上級、中級、初級。キャリアとノンキャリア)という現在の公務員の区分を廃止し、大きく「総合職と専門職」に分けるべきだと考える。そして、ジェネラリストとしての「総合職」は内閣(または人事院)で一括採用し、その後の人事異動も一元管理する。一方、スペシャリストは、今後社会が複雑化し価値が多元化するほど、むしろ必要だから、その人たちは個別省庁毎に「専門職」として採用する。

 総合職は、将来の幹部候補生で、各省庁を横断的に回ることで「オールジャパン意識」を持つように育てられる。これらの人に求められるのは、専門馬鹿でもなく、狭い縦割りの中での自己利益の実現でもない。世の中の流れや国民のニーズを敏感にかぎとり、大局的な見地から決断を下すことだ。その指揮監督下に入る専門職は、特定の部署に原則として勤務し、局長や審議官にはなれないが、別の面、すなわち、給与の面で処遇していく。専門職で優秀な人は、事務次官や局長と同じ給料にすればいい。このように、特定の省庁が特定の官僚(利益)集団を丸抱えといった状況を打破しない限り、縦割り行政の弊害の除去や行政改革の実はあがらないのである。

天下りの全面禁止を
 公務員制度について語る時、天下りの問題も避けては通れない。特にキャリア官僚の場合、退職時の給料を下回らない、秘書付の個室で黒塗りの専用車が付いていなければならない、そして、数年勤めれば多額の退職金をもらい、渡り鳥のように次の天下り先に就職、引退する70歳まで「大蔵一家」だ「通産一家」だといって面倒を見てもらう。

 やはり、こんな天下りは言語道断だ。ただ、官僚もひとりの人間だから、一生のライフサイクルというものは考えてやらなければならない。例えば、今キャリア官僚は40代半ばぐらいから「肩たたき」で辞めさせられる。「早期勧奨退職制度」と呼ばれる慣行だ。

 公務員は、公務員法上、本人の意に反して降格や罷免をされないので、あくまでも本人同意が前提となる。「辞めてくれ、しかし後は知りません」では困るのである。霞ヶ関は、よく、この肩たたきと天下りをセットで、「組織の活性化には必要」という理屈で正当化するのである。

 従って、一つの方法は、この天下りのための肩たたきという勧奨退職をやめて、例えば65歳の定年まで勤務させ、その代わり天下りをやめるのである。ただその場合は、少なくとも、トップの事務次官になる年齢を、現在の50代後半から63歳前後にまで延ばす必要がある。また、何らかの方法で、定年まで出世競争に敗れた人間が勤労意欲を持続できる仕組みを考案できるか否かが、この制度の成否を握る。特にキャリア官僚の場合、同期との競争原理が勤労意欲となっており(民間会社でも多かれ少なかれ同様)、競争に敗れ、勤労意欲を失いがちな「窓際族」を、定年まで役所で抱えていくのは、却って税金のムダとも考えられるからである。霞ヶ関が、早期勧奨退職が組織の沈滞を防ぎ、活性化に役立っているというのも一理あるのだ。 その辺の折り合いをどうつけていくかがポイントである。

 これからの年金は、徐々に65歳まで支給開始年齢が遅らされていく。従って、公務員の定年は65歳、その後は原則として年金生活か、自力で再就職先をみつけることにしたらどうか。役所に何年もいれば、能力のある人にはそれなりに人脈がついてくる。そこから「退職後うちの会社に来てくれ」と言われ再就職するのを天下りとは呼ばない。要は、そうでない人を、官房長を中心に企業や特殊法人に斡旋するシステムが問題なのだ。

 そうすると、役所に入って40年は働くということになる。キャリア官僚も一つのポストに5年ぐらいは座れる。そうすれば、副次的効果で、キャリア官僚が1年半とか2年でくるくるポストを替わり、やっと慣れたと思ったら「はい、おさらば」ではたまらないという民間の企業や団体の苦情も解消される。

 そう簡単には事は運ばないかもしれないが、こういった観点から、天下り問題に抜本的なメスを入れてほしい。この点、日本経団連が、「橋梁談合事件」を受け、1500を超える会員企業への「天下り」受け入れ停止に乗り出したことは時宜にかなっている。

 私もそうだったが、大部分の官僚は、何も天下りがあるから公務員を目指したのではない。国のことを思うからこそ、連夜のサービス残業にも文句一つ言わずやって来た。特に、20代から30代前半の若手官僚は、政治家が怠けている法律作成作業で連日不眠不休の作業を余儀なくされている。にもかかわらず、先輩官僚の天下りで「官僚バッシング」では一生浮かばれないというものだ。こうした日夜頑張っている若手官僚のためにも、天下りは一切禁止すべきだと私は思う。

論座 6月号  「郵政攻防(2)~橋本行革と郵政民営化」 掲載
沖縄タイムス 朝刊 (12/2付)  「普天間基地」 に記事掲載