国民一人一人の夢を実現できる社会を実現したい

江田けんじ 衆議院議員 神奈川8区選出(横浜市青葉区・緑区)

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政策運営の考え方

まず、きっちりと景気回復!・・・「元気を出せ!経済」

 未曾有の経済危機、金融危機の時に財政出動するのは、政府として当然の役割です。ただ、その場合でも、将来的(中長期的)な財政規律にはしっかりと「タガ」をはめた上で、するなら効果的な財政出動をしろと言いたいのです。しかも、場当たり的な政策を並べ、つまみ食い的な財源で応急措置をするのではなく、計画的に国民の前に工程表を示し、将来的な見通しを与え、安心感を与えなければなりません。思いつきの財政出動は、景気浮揚にもならず、いたずらに借金を積み重ねるだけです。 90 年代の反省はしっかり念頭においておかなければなりません。

 そもそも景気回復は、何も借金を重ね、公共事業中心に「バラマキ」をしなければできないものではありません。むしろ、公共事業の経済への波及効果は年々落ちてきているのです。特に、道路を造ったり、橋をかけたり、いわゆる「土木」といわれる分野では、それが顕著に表れています(経済学にいう「乗数効果」というものです)。これは「産業連関表」をまわしてみれば一目瞭然でしょう。

 公共事業をやるなら、むしろ「建築」「住宅」の分野、すなわち、学校や病院、都会で特に不足している保育園や老人ホームを建てた方が良いのです。そして更に効果があるのが、その学校にパソコンを整備する、病院にCTスキャンを、老人ホームに介護器具を整備する、すなわち、「設備機器」を導入する方が、景気浮揚効果が高いのです(「土木」より「建築」、「建築」より「設備機器」)。「乗数効果」のなせるワザです。しかし、最後の「設備機器」の部分は、今の財政法上、「公共事業」の範疇に入っていないのです。その結果、建設国債の対象になりません(赤字国債になります)。

 しかし、日本経済の将来を考えた場合、こういった政府の経済政策だけではなく、「市場経済の活力を最大限に発揮させる」、「市場のことは市場に任せる」、「民間にできることは民間に任せる」という原則が重要になってくるのです。「政府の無用な介入は、結局はいい結果をもたらさない」、これがこれまでの、旧大蔵省、旧通産省はじめ経済官庁のとった政策の反省点であるべきなのです。「選択と責任」の原則は、もっともこの経済分野に当てはまると言えましょう。

 今後、情報( IT )、教育や福祉、環境産業など、21世紀日本を引っ張っていく先端あるいは新規産業については、最早、不必要な規制や補助金は無用です。これらの産業については、資金調達を容易にするための金融市場の整備、大胆な規制緩和による参入の促進、コストの削減(ex.物流や通信のコスト)、税制改革等こそ必要なのです。さらには、市場のプレーヤー(企業)が伸び伸びと国際的なルールに従って行動できる、その土俵(制度)の整備が、政府に求められることなのです。知的財産権の整備や、倒産法制や M&A 等を円滑にする商法や独禁法制の改正、電子商取引に係るプロトコルやプライバシーの保護などです。

 どうしても、歴史の流れの必然で、旧来の産業は、国際水平分業の論理で、遅かれ早かれ、中国やインド、東南アジアをはじめとする新興国、発展途上国に取って代わられます。日本の生きる道は、欧米に伍して、このような先端あるいは新規分野の産業を再生、創造し、その付加価値を高めていくしかないのです。そして、旧来の産業からあふれ出た失業者を吸収していくのです。この分野では多額な予算は必要ありません。「カネ」よりも「チエ」「ワザ」なのです。これが、私の言う「景気回復」と「構造改革」は両立する、と主張する所以なのです。

 例えば、日本には、 1500 兆円の個人資産があります。そのうちの半分の 780 兆円は現金や預金で保有されているのです。そのまた半分はお年寄りが保有している。この資産を活用しない手はないのです。それを投資や消費に向けさせる政策、例えば、おじいちゃん、おばあちゃんが、可愛い子供や孫の住宅資金のために生前贈与する場合は無税にし、逆に相続税を上げれば、景気波及効果の高い住宅投資が促進されるでしょう。こうした民間活力を引き出す税制、規制改革、予算配分改革が必要なのです。もちろん、後述するように、お年寄りに安心してお金を使ってもらうためには、真に「百年安心」の社会保障制度の整備が不可欠でしょう。

 「バラマキ」ではない地域振興策、地域格差対応も重要です。徳島県上勝町の「はっぱビジネス」の例を上げるまでもなく、創意工夫の地場産業振興、マーケット型の農業育成で成功した事例はいくつもあります。この成功体験を蓄積・体系化して、他の地域にも及ぼしていかなければなりません。昔一時はやった、画一化されたテーマパーク、民活事業で町おこしという試みはことごとく失敗しました。地域振興に王道はないのです。その地域にある「シーズ」をしっかり見極め、市場の「ニーズ」にしっかり照らし合わせて、地場産業、農業の振興を図っていくしか道はないのです。

そして再び「構造改革」へ!・・・「変えよう!この国のかたち」

  21 世紀、日本は世界一の超高齢社会・少子化社会を迎えました。今、「 4 人の若者で 1 人のお年寄り」を支えている社会が、 10 年後には「 3 人で 1 人を」、 20 年後には「 2 人で 1 人を」担っていきます。単純に考えても、働ける現役世代の負担は、一人当たり、 4 分の 1 から 3 分の 1 へ、 3 分の 1 から 2 分の 1 へと増えていくのです。

 具体的に述べましょう。人口がそれほど高齢化する(お年寄りの割合が増える)ということは、それに伴い、例えば医療費がどんどん膨らんでいきます。現在、日本国民全体で約 30 兆円もの医療費が使われています。

 これが、ある試算によると、 20 年後には 60 兆円にも上るのです。何故か。残念ながら、お年寄りはどうしても病気がちになるため、平均して年間、若者の約 5 倍もの医療費を使わざるをえないからです(年間平均 : お年寄り 75 万円、若者 15 万円)。

 更に、年金の支払いも今 40 兆円、 20 年後には 60 兆円になります。受け取る方(お年寄り)が、掛け金を払う方(若者)より、どんどん増えていくのですから、その負担は、放っておけば自動的に嵩んでいくのです。

 そして、その膨大な負担を、国民の皆さん(より少ない現役世代、若者)が背負っていかなければなりません。

 医療費だけで考えても、それは、患者(本人)負担であれ、税金であれ、毎月の保険の掛け金であれ、すべて皆さんの懐を直撃するのです。それが 20 年後に 60 兆円(現在 30 兆円ですから 30 兆円の増加)になるとすると、消費税1%分で2.5兆円の税収ですから、医療制度を維持するだけで12%も消費税を上げなければならないということを意味します。

 年金の支払いも 20 年後には 40 兆円から 60 兆円と 20 兆円増えますから、それだけで消費税を8%上げないと追いつかないわけです。

 すなわち、医療と年金制度を維持するだけで、 20 年後には、消費税をあわせて 20% 増税、つまり現行 5% の消費税を 25% にしなければならないのです。あくまでも改革を怠り、今のままの医療制度、年金制度を前提にすれば、こういった事態になりかねないのです。

 今、 5% の消費税その他の税金、社会保険料等を払っているだけで、皆さんのサラリーマン世帯では、月給の約 4 割が天引きされているのです(この割合を「国民負担率」と言います)。「少子高齢化」の恐怖は、この 4 割という数字が、黙っていれば、 5 割、 6 割、 7 割と増えていくことを意味するわけです。汗水たらして働いた給料から、7割もの税金と社会保険料が控除される、そういったぞっとする社会も、今のままの政治や制度を放置しておくと現実のものとなるのです。(スウェーデンでは既に7.5割が差引かれています。ただ、医療も教育もほとんど「タダ同然」の国で、スウェーデン人はそういう「高負担高福祉」という選択をしたのです。日本ではこうはいきません。高負担しても低福祉ということになりかねないのです。)

 ですから皆さん!私たち、そして私たちの子供や孫たちが、重い税金を払う、高い健康保険や年金の掛け金を払わなければならない、そういう「重税感にさいなまれる」時代に生きていかなくてすむように、今から、我々世代が、責任をもって、医療制度や年金制度の改革をはじめとした様々な構造改革(経済社会システムの変革)に真剣に取り組んでいかなければならないのです。

 それでは、一体どうすればいいのでしょう。

財政構造改革、行政改革・・・「トコトン洗い直せ!国民負担」・・・増税の前にやるべきことがある

 天文学的に今後増えていく社会保障費の財源をまかなうために、将来的な消費税増税は不可避でしょう。しかし、その前にやるべきことがある、国会議員や官僚がまずは率先して身を切るべきだ、というのが国民の声だと私は認識しています。

 そうです。まず、予算の無駄を省き(財政構造改革)、行政の無駄を省き(行政改革)、そうでなくとも、世界一の少子高齢化に伴い増加していく国民の負担をなるべく押さえていかなければなりません。

 私が政権にいた時、このような問題意識から、これらの課題に一生懸命取り組みましたが、不幸なことに、金融破綻や、それに続く不況の嵐で途中頓挫してしまいました。しかし、これらの問題は、もう、どうすべきか議論する段階ではなく、もうやるしかないという実行の段階なのです。政治家の気概、リーダーシップが一番問われる領域です。

 まず、国会議員や官僚の数を大幅に削減していく必要があります。衆議院議員は 300 人( 180 減)、参議院議員は 94 人(約 150 減)で良いでしょう。特に、選挙のたびに、小選挙区では落選したのに、その後ゾンビのように生き返ってくる比例代表の衆院議員 180 人は不要です。参議院も常に「不要論」が言われている状況ですから、本当に識見の高い議員が選ばれるような選挙制度に改正した上で、都道府県代表として 1 人か 2 人で良いでしょう。国会議員 1 人当たり、全部いれて 1 億円の税金がかかるといわれていますから、これで 300 億円以上の税金が節約できるわけです。

 国家公務員もまだまだ減らせます。現在 33 万人の一般職の国家公務員がいますが、そのうち、 21 万人は、都道府県との二重行政が指摘される地方ブロック機関にいます。この無駄な人員を中心にして、約 10 万人の削減は可能です。

 さらに、税金の無駄遣いの元凶である「官僚の天下りの全面禁止」や政治腐敗の元である「政治家個人への企業・団体献金の全面禁止」の問題がありますが、これらについては後ほど述べます。

 さて、「財政構造改革」では、単なる「改革」ではなく「構造改革」という文字が示しているように、財務省流のやみくもな歳出削減ではなく、日本の将来を見据えて「歳出の構造」をメリハリをつけて見直して行くことが必要です。伸ばすものは伸ばす、減らすものは減らすということです。

 その点、 98 年に制定された「財政構造改革法」はタイミングの問題はあったにせよ、その内容、手法には学ぶ点が多々あります。それは、シーリング制度により一律削減で来た予算編成手法(政治的に容易いからです)を、費目毎に、日本の将来を見据えて増減させたのです。将来の基盤投資である科学技術は厳しい財政事情の中でも前年度比 5% 増、高齢化の進展で当然増も嵩む社会保障費はやりくりして 3,000 億円増、防衛費は前年並み、無駄や非効率が指摘される公共事業は▲ 7% 減、本来重要だが今は我慢して ODA(政府開発援助)は▲10%減というように。政治的には極めて困難な作業でしたし、それを初めて法制化したという意味で歴史的意味を持つものでした。今後、経済の状況をみながら、今一度、こういう手法で真剣に全予算を洗い直していくべきです。

 ただ、このような予算編成の仕組み自体が限界にきているのかもしれません。「ゼロベース予算」という言葉がありますが、根雪のようにたまった既定経費も含め、本当の意味で、ゼロから予算をすべて見直すことが必要になってきています。

 これまで光が当たっていなかった 200 兆円前後の特別会計の抜本的見直しも必要です。 80 兆円そこそこの一般会計には、曲がりなりにも国会や会計検査院、マスコミ等のチェックが入ってきましたが、昨今問題となった社会保険庁のずさんな年金保険料の無駄遣い等は、すべてこのブラックボックスの特別会計にまつわるものです。ここに切り込めば、 10 兆円、 20 兆円の財源はすぐにでも出てくるはずはずです。

 この点で「埋蔵金」論争というものがあります。財務省が「ないない」と言い張っていた「埋蔵金」(各特別会計の利益剰余金や準備金のこと)が、結局、この数年間で 30 兆円以上出てきたわけです。これは「国のへそくり」とでも言うべきもので、放っておくと、また官僚が天下り先確保のための法人や補助金に使われてしまいますから、増税する前に、一円残らず国民の前に出してもらわなければなりません。私は「埋蔵金御三家」と言っているのですが財政投融資特会、外為特会、労働保険特会に、 08 年末現在で 43 兆円(ストック)あり、今後もフローで一年当たり 5 兆円の埋蔵金が出てくる予定です。すなわち、今後 3 年間で、すくなくとも 30 兆円の埋蔵金があるわけです。

 この埋蔵金に加えて、国有財産・政府株の売却、公務員人件費削減、独立行政法人剰余金捻出、道路特定財源の一般財源化等を検討、実施していけば、 50 兆円程度の財源はまだあるという計算になります。これらのお金を、例えば「改革の果実還元」特別会計に一括計上し、今後計画的に社会保障財源に充てていけば良いのです。ただし、この埋蔵金は「一回こっきりでなくなる」わけでもなければ、かといって 10 年も 20 年も続くわけでもありません。使い果たしたあとは、税金のムダ遣いの解消度を国民とともに厳しく精査の上、社会保障財源のあり方を、消費税を含め検討していくべきでしょう。

 行政改革では、「国から地方へ」(「地方分権」)、「官から民へ」(「民間委譲・民営化」)そして、更なる「情報公開」という流れをもっと加速していく必要があ ります。 この点に関連して、 2001 年 1 月から、新しい中央省庁(霞ヶ関改革)が始動しました。私が、政権にいた当時、最も情熱を傾けた仕事の一つでした。

 この中央省庁の再編には、終始一貫して「機構いじり」等の批判がつきまといました。「規制緩和や地方分権を進め、官民の役割分担を見直せば、おのずから中央組織の行政組織はスリム化する、順序が逆だ」、「情報公開を進め、閉鎖的な行政姿勢、手法を改めることを優先すべきだ」、「定員削減等の減量化はどうなったのか」。それはそれで正しいのですが、忘れてはならないのは、そういった改革は、これまでやろうとしても様々な抵抗でなかなか進まなかったという事実なのです。今まで進まなかったものが、理屈を唱えるだけで進むようになるのか。私は、実際の改革現場にいた経験に照らし、本丸を攻めること(ショック療法)が必要だと判断しました。問題は高尚な理屈ではなく、実際に改革が進むことなのです。(もちろん、この本丸改革にも問題点が多々あります。別項で詳論の予定)

 ただ、今後は、まさに「国から地方へ」、「官から民へ」を最重要課題として取り組んでいかなければなりません。

 まず「地方分権」を本当に進めるためには、税財源の裏打ちが必要です。仕事を地方に下ろすだけではなく、その仕事に見合う税財源も同時に委譲しなければなりません。地方自治体の課税自主権、地方交付税制度の抜本的見直し等国の財政構造にも係わる問題に大きなメスを入れる必要があります。小泉首相が推進した「三位一体改革」はそのための施策でしたが、国の補助金を 4 兆円減らして、そのうち 3 兆円を地方に移譲するに止まっており、本当に地方の自立、自主権を確立するためには、より地方の裁量性を重んじた移譲対象の選別と、国の「ひも付き補助金」をなくしていく必要があります。

 また、地方自治体の行政能力(組織的、人的能力)、言い換えれば、受け皿能力を飛躍的に高めていく必要があります。単に、地方へ権限やお金をおろしていけば「バラ色」ではないのです。そのため、数千もある市町村を、将来の「道州制」をにらんで、ある程度人為的に広域合併していくべきです(現在は、合併促進により 1800 程度の市町村となりました)。そして、地方ブロック機関の廃止に伴い、その人材をそこに移譲していくことも必要となります。「人間」「権限」「財源」の「 3 ゲン」を移譲してはじめて真の地域自立型の「分権国家」が実現できるのです。

 「民間委譲・民営化」の次の最大のターゲットは特殊法人や独立行政法人です。財投改革(郵貯・簡保資金等の資金運用部への預託廃止)や国の業務の民間委託等が実施される機会を捉え、現存の特殊法人や独立行政法人全面見直しが必要です。必要なものもサンセット条項(年限を切って廃止する条項)を挿入する、あるいは、一旦すべて廃止した上でビルド(新設)する、といった荒療治です。特殊法人の陰で増殖してきた財団法人の廃止・統合・スクラップ & ビルドも必要です。

 その意味では、郵政民営化をより完全な形にし、その莫大な資金を民間市場に流れやすくすることや、道路公団の完全民営化(国の関与の廃止)、高速道路建設の即刻凍結・路線見直し等も当面の重要課題です。

 また、「政治姿勢」のところでも述べましたが、このような改革を進めるためには、「政治姿勢」のところでも述べましたが、すべての改革をはばむ「政官業の癒着を断つ!!」ことが必要不可欠です。そのためには、私が自ら主張、実践している「政治家個人への企業・団体献金」と「官僚の天下り」の全面禁止が前提となります。

 「政治とカネ」の問題は、元から断たなきゃダメ!です。なぜ政治家は口利きをするのか?それは選挙で「カネ」がほしいからです。なぜ官僚は、その族議員と結びついて、既得権益や特殊法人を守るのか?それは自分の天下り先を確保したいからです。ですから、この政治、官僚、業界(政官業)の三角関係、癒着をぶち壊すには、元を断てばいいのです。それが、企業・団体献金、天下りの全面禁止なのです。それが本当の「政治改革」「行政改革ではないでしょうか。
 江田けんじは、利益・圧力団体からの支援を一切受けていません。また、企業・団体献金も一円たりとも受け取っていません。それは、しがらみのない政治家だけが大胆な改革に切り込めると考えるからです。旧来の政治家がなぜ、たやすく改革の「抵抗勢力」となり果てるのか?それは、改革反対勢力に「票とカネ」の支援を受けているからです。このような政治家に本当の改革はできません。

 また「官僚の天下り禁止」も、その原因である「早期勧奨退職制度」( 50 歳前後から「肩たたき」と称し役所を自発的に辞めさせ、かわりに特殊法人や企業の天下りポストを用意する)を廃止し、定年まで勤め上げていただくことが、官僚の人生設計のために必要です。そして、 30 年~ 40 年の役所生活の間にできた自分のツテを頼って再就職するのは自由ですし、それができない人は年金生活に入ればいいのです。とにかく、役所に入れば、 70 歳まで天下りで生活の面倒をみるという制度は、国民的には受け入れられません。

 ただ、江田けんじは「きれいごと」だけを言うつもりはありません。

 「政治には悪いことをしなくても普通にカネがかかる」(最近自民、民主若手政治家が公表した額は最低でも年間 5,000 万円前後)という現実を前提に、現在300億円超ある政党助成金(議員一人あたり年間 1,000 万円)を2倍にする、そのかわり 1 円たりとも企業献金が発覚した政治家は即刻首にする、といった方策も考えられますし、「選挙をもっと公営にしカネをかからなくする」、すなわち、選挙期間中(衆議院の場合は 12 日間)、今は法律で禁止されている公開討論会を 4 、 5 回(外交、経済、福祉、教育等をテーマ)役所主催で開く、その結果を地元マスコミで詳細に報道し有権者に情報を提供する、といった方策も考えられます。いずれにせよ「政治とカネ」について国民的議論が必要です。

社会保障構造改革・・・「長生きして良かった!医療・年金・福祉」

 世界一の少子高齢社会を迎え、社会保障構造改革は、これからますます増える医療や年金、福祉といったニーズに的確に応えられる制度、仕組みの確立が目的です。給付と負担の均衡のとれた社会保障というものを前提に、民間保険や企業サービスなどの民間活力も導入しながら、国民に複数の選択肢を提示し、いかに質の高いサービスを効率的に行えるかがポイントです。ただ、これらの改革では、今後、全ての世代、全ての関係者が応分の負担を覚悟しなければなりません。「不公平感」こそが改革の最大の敵なのです。

 医療制度については、 75 歳以上の後期高齢者医療制度は廃止し、年齢ではなく所得で保険料負担をしていただく制度が合理的だと考えます。疾患の必然的に多いお年寄りばかりを集めても保険制度は到底成り立ちません。一時検討された「突き抜け制度」、すなわち、トヨタに勤めた人は退職後もトヨタの保険で面倒をみてもらえるといった制度も含めて、今一度抜本的な健康保険制度の改革案を検討すべきと考えます。そして、将来的には、誰もがどんな職業に就いていても公平な負担で公平な給付が受けられる医療制度の一元化を図っていくべきでしょう。

 また、お医者さんの技量を正当に評価していない診療報酬制度のメリハリのある改革も必要です。地域医療や救急医療、さらには医師不足、特に産科医や小児科医、外科医等には報酬を手厚くすることも不可欠です。究極的には、今「どんぶり勘定」の診療報酬を、「ドクターズフィー」と「ホスピタルフィー」にきちんと分け、崩壊しつつあるといわれる病院経営を建て直していくことも必要です。こうしたことで「救急車たらい回し」や「医師不足」問題に対応していくべきです。医師全体の 3 割を占める女性医師の、出産、育児後の職場復帰等を促進する施策等も必要です。

 ただ一方で、医療分野の不合理な点も是正していかなければなりません。心臓ペースメーカーやカテーテル、 CT スキャン等の医療器械が、諸外国の 2 倍~ 10 倍の高価格で買わされていること、価格が安い後発医薬品のシェアーが先進国と比べ 1/2 ~ 1/4 と低いこと等です。また一時、「薬漬け、検査漬け」と批判されましたが、診療報酬請求で不正はないか、レセプトの電子化等も進めていかなければなりません。最近の医療過誤の実態にもかんがみ、医療情報の的確な公開、医療機関の適正な評価等がのぞまれます。

 年金制度については、基礎年金(最低保障年金)に、「保険料方式」ではなく「税方式」導入し財源を手当するとともに、将来的な厚生年金と共済年金、国民年金等の年金の一元化に向けて早急にタイムテーブルを設定する必要があります。なぜなら、この一元化には、それぞれの制度の「でこぼこ」を、不公平感の出ないように、何十年もかけて経過措置を講じていく必要があるからです。この前提として、大問題となった「消えた年金記録」「改ざんされた年金記録」も問題を解消していくことは当然のことです。

 福祉サービスも、何から何まで国が面倒をみるということでは立ち往かなくなります。この分野では、民間企業の知恵や活力を最大限利用していくべきでしょう。

 共通の課題としては、税金と保険料という国民が払う負担の仕方を、それぞれどの領域にどう適用していったらいいのか、公的保険と民間保険の組み合わせはどうあるべきなのか、そして、このような議論の中でも、官と民、官でも国と地方の適切な役割分担を図り、国、地方自治体、非営利法人( NPO )、民間企業やボランティアなどが連携して参加しながら、利用者の選択の幅を広げていくという努力が必要なのです。

 そして、最後になりましたが重要なこと(last but not least)、それは、これからの日本を支える若い世代の「子育て支援」です。

 子供を持とうにも、保育園も足らない、児童手当は一月たった 5,000 円、会社で育児休暇をとろうとしても建前通りとれない、こうした状況ではとても少子化がストップしません。 2005 年には、とうとう出生率が戦後最低の 1.29 となってしまいました。このままでは働き手がどんどん減っていき、国の将来があぶないのです。

 こうした流れを変えるためには、ドイツ、フランス並みに、児童手当の大幅な拡充( 3 倍~ 4 倍)や支給年齢の延長( 16 歳~ 18 歳まで)、教育費への税額控除、共働き所帯には、建前どおり育児休業をとれる環境整備と保育所の増設、職場復帰時の不利益扱いの禁止や、育児もしたことのない男性上司の意識変革や男性の子育てへの一層の参入等が絶対に必要です。不妊治療への保険適用も考えるべきでしょう。また、「婚外子」の法的地位を、出生登録や財産分与等の面で是正していくことも大事です。

教育改革・・・「個性だ!創造だ!教育」

 「教育」は、未来への人的投資です。この国の将来に必要な個性的・独創的な人材の育成はもちろんのこと、この国を、他人のあら探しや揚げ足ばかりをとる殺伐とした国から、お互いが助け合い、悪いところは素直に批判しあいながら、良いことは積極的に評価し伸ばしていくという、そういう当たり前の国にするための、人間性及び人間関係の再構築が必要不可欠だと思います。しかし、現状は、高度成長時代の規格品の大量生産を前提にした教育制度から抜け出せず、また、いじめや学級崩壊、凶悪犯罪の低年齢化などにみられるような「教育」の荒廃が指摘されています。

 まず、個性的・独創的人材の育成には、教育制度に、ここでも「多様な選択肢」を導入する必要があります。生徒や学生一人一人、能力や得意分野が違うのですから、それに応じた環境条件を用意してやる必要があります。科目の選択の自由度を増やしたり、能力別の学級編成をしたり、飛び級を設けたり、多感な年頃を受験勉強に費やさなくてもすむように公立学校にも「中高一貫教育」を導入したり、大学の基礎研究が進むように多様な研究制度、受け皿機関を設けたり、とにかく「引き出しの多い」学校づくりをしていく必要があります。

 「教育の荒廃」対策には、3歳から10歳ぐらいまでの幼児、初等教育が重要です。人間の脳は、この年ぐらいまでに九割方成長し、そして人間としての思考回路も張り巡らされてしまうからです。この時期に、「愛されるべき時に愛されない」、逆に「叱られるべき時に叱られない」、家庭の事情や教師の自信喪失などから、こういった環境で育った子供の中から「切れる生徒」が生まれてきているように私には思えてなりません。もう少し、英語で言う「ディシプリン」(通常「躾け」と訳されるが、それよりもう少し広い)を重んじた教育に目を向けていくべきではないでしょうか。「人間は一人では生きていけない」という原点に立ち返り、人と人、人と集団(チーム)、人と社会、などの関係を律する最低限のルール、エチケット、礼儀作法、チームワーク、ボランティア精神、自然への敬愛などを教え込む教育に重点をおいていくのです。課外(野外)授業や週末のコミュニティ活動への参加を積極的に学業として評価すること等を通じて、学校、社会、家庭が一体となった教育環境をつくっていかなければなりません。生徒 1 人 1 人への目配りが可能となるような少人数学級や、教員の資質の向上等も重要な課題です。

地球環境保全・・・「安心と安全!人間安全保障」

 地球環境問題の悪化。そういった世界的な事象のみならず、我々の身近で起こっている環境破壊、それに伴い「人」に現実に悪影響を及ぼしている様々な因子について私たちは知っています。まさに「環境」問題は「人間の安全保障」の問題なのです。

 まず、国政において、環境保護団体、各種市民運動団体、 NPO と言われる草の根の活動、そういったムーブメントに、しっかりとした市民権を与えることが必要です。「市民権」を与えるということは、日本の「統治機構に」に取り込むということを意味します。 NPO 法も成立し、その位置づけはかなり明確化されたとは言え、実質的に、国会議員や霞ヶ関に、そういうマインドを持たせるか否かが重要なのです。

 この点、前述の中央省庁の再編で、「環境庁」が「環境省」に格上げされました。私も熱心な推進論者でしたが、残念ながら、具体的な環境に係わる権限をこの役所に全て統合させ強力な「大環境省」を創るという試みは失敗しました。ただ、今後は、この環境省を基点に、上記点も含め、政治や行政の古いマインドを打破していく必要があります。

 「ゴミ焼却場」や「原子力発電所」等の「迷惑施設」、地下鉄や道路の建設、住宅開発等の「ディベロップメント」、水や空気の安全性、アレルギー、食品衛生、動植物検疫、廃棄物の問題等々、様々な問題が錯綜しています。しかし、環境問題で大切なことは、事前の「アセスメント」と徹底した「情報公開」だと私は考えます。そして、これを基にした住民との対話(「住民参加」)です。もちろん、ここには、先ほど触れたNPO等の市民運動団体も含まれます。こういったことを通じて、何よりも、お年寄りや子供達が安心して暮らせる環境づくり、街づくりを図っていかなければなりません。

外交・安全保障・・・国民の生命・安全はトコトン守り抜く!

 政治の、政治家の基本的責務は、この日本という国土を、国民の生命・財産・安全を、しっかりと守っていくということです。明治維新から幾度となく戦争を経験し、先の大戦では、世界唯一の被爆国にもなりました。その経験と反省の上に立ち、「二度と戦争への道を歩まない」という誓いの下に、平和な日本、平和な国際社会の実現に向けて邁進します。

(1) 我が国への武力攻撃、あるいはその可能性のある事態に対しては、十分すぎるぐらいの「備え」をします。「備えあれば憂いなし」です。
 日米安保体制は堅持します。日本を実際に守るための手続き、権利義務関係の整序等を目的にした有事立法には賛成しました。「周辺事態法」は、その立案者の一人として、「集団的自衛権」の行使にはギリギリ当たらないとの判断で、日米安保の内実を埋めるために不可欠の法律として制定しました。
しかし、いくら日本を守ることが重要だからといって、「目には目を」「歯には歯を」の破滅への道を歩むこととなる「核武装論」はとりません。非核三原則も堅持します。
(2) ただし、いくら国際貢献と言えども、国際社会において、実際上「軍隊」と見なされる自衛隊を海外に派遣する場合は、明確な原理原則に基づき、かつ、実際に派遣する場合には、諸般の情勢を十分に吟味し、慎重を期すべきと考えます。
  PKO 、国際緊急援助(災害派遣等)、人道復興支援など、国連の決議(または「国際社会の総意」)に基づく国際平和維持または人道的な活動には積極的に協力します。国際紛争を解決するために人的貢献を求められる場合には、食糧、医療、物資、役務の提供等の後方支援活動への参加も認めます。ただし、国連決議(または「国際社会の総意」)がある場合に限ります。
いわゆる「集団的自衛権」の行使は認めません。米国が「自衛のための先制攻撃」と位置づけたイラク戦争への支持、自衛隊派遣のように、これを認めると、対米追従で、後方支援なら地球の隅々まで自衛隊派遣を許してしまうことになります。いつの時代でも「侵略」は、この理屈で正当化されてきたのです。「国際社会の総意」という傘、オブラードに包まれていない「剥き出しの自衛隊派遣」は、相手国やテロリストの無用な反感を買い、日本および日本人を米国のように「常に戦争やテロと向き合わなければならない国民」にしてしまいます。日本が再び、戦前の「戦争への道」を歩み始めることになるでしょう。
さらに留意すべきなのは、政治家のシビリアンコントロール能力(統治能力)の無さと、軍事的オペレーション能力の無さです。数年間の官邸勤務で痛感しました。今の段階では、「子供に鉄砲を持たせるようなもの」で、いくら「集団的自衛権行使で普通の国に」と叫んでも内実が伴っておらず、危険極まりない事態を招来することになります。
(3) ODA を国益に沿い戦略的に運用します。
  ODA (政府開発援助)も、国民の税金で賄われている以上、日本の国益に沿って戦略的に運用します。欧米では当たり前のことです。その際、日本経済への裨益ということも考えて「タイド」援助(落札に日本企業を優先)を増やしていくべきでしょう。
世界有数の援助大国である日本も、だからといって、諸外国の国民に日本の援助努力が認識されているとは限りません。政府ベースでは「感謝」されても、国民ベースで「感謝」される援助でなければ、やっている意義もありません。また、これまでの積み上げベースの、金額の多寡だけで満足する外務省主導のやり方を抜本的に改め、財政事情も厳しい折り柄、日本の外交方針に沿った重要国、重要分野への援助に特化していくべきです。
(4) 地球環境問題、食糧危機、水不足、教育、医療・福祉等の分野で、ソフトパワーで貢献します。
 日本が他国に比し優位性を持つ、人的・技術的・資金的手法、すなわち「ソフトパワー」で世界に貢献します。軍事的には、すでに 200 近い国連加盟国が「普通の国」として貢献しています。他の国と同じことを、しかもそんなに得手でもないことを、無理をして(憲法を改正して)までする必要はまったくありません。国際社会から真に日本に求められていることでもないでしょう。やはり、依然として勤勉でレベルの高い人的資源、省エネや新エネ等の環境技術、工程管理等のノウハウ、保険制度等をはじめとした行政資源、世界第二の外貨準備等を活用した経済的貢献等で「諸国民の間で名誉ある地位」を占めれば良いのです。その一環として、地球環境問題については、世界のリーダーとして、中長期の CO2 の削減目標の設定、実現のためのメカニズムの構築、研究・技術開発等の分野で主導的役割を果たしていくべきです。
(5) 唯一の被爆国として核軍縮・廃絶に先導的役割
 世界の核軍縮の現状を考えれば絶望的になってしまいます。しかし、日本は「唯一の被爆国」として、たとえ「ドリーマー」と言われようと、愚直に「核廃絶」を訴えていかなければなりません。国連をはじめ、あらゆる国際会議の場を活用して米ロをはじめ核保有国に訴えていくとともに、広島、長崎で、そのための国際会議を定期的に開催できるよう、国際的努力を払っていく必要があります。
(6) 以上を通じて、日本の「国益を守る外交」、毅然として「モノを言う外交」を展開します。
 日米同盟が外交の基軸と言っても、日本が卑屈になる必要はまったくありません。日米同盟は両国に裨益し、また、米国の経済を日本のお金が支えている現状にも鑑み、「真に対等なパートナー」として、米国にも耳の痛いことを言い、実行していくべきです。残念ながら今の日本は、いつもガキ大将(米国)の背中の後ろから指だけ出して「そうだ」「そうだ」と言っているミソッカスにすぎません。諸外国からも当の米国からも「軽んじられている」というのが現状なのです。
外務省の「事なかれ主義外交」からも決別する必要があります。「日本よりも相手国重視」の省内出世メカニズムも抜本的に変えていく必要があります。日本人の人権や領土問題に係わる事案については毅然とした対応をしていくことは当然で、北朝鮮の拉致問題も然りです。
このような外交を展開していくために、首相官邸に、外交、経済・通商、防衛、食糧、エネルギー、環境等の問題を総合的に勘案し、戦略的有機的体系的な安全保障政策を立案、遂行していく「総合安全保障会議」を設置する必要があります。内政の司令塔が「経済財政諮問会議」であるならば、この会議は、外務省だけに頼らない「外政の司令塔」の役割を果たします。