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江田けんじ 衆議院議員 神奈川8区選出(横浜市青葉区・緑区・都筑区)

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「Voice」 2008年4月号に論考記事「独立行政法人壊滅論」掲載

2008年4月 5日 メディア情報 | 新聞・雑誌 tag: , ,

行革の鬼っ子「独立行政法人壊滅論」したたかな霞が関を「兵糧攻め」で封じ込めよ 「Voice」 2008年4月号掲載記事

江田憲司(衆議院議員)
■笑い話にもならぬ誕生裏話

 官僚の天下りの温床となっている独立行政法人改革は、中央省庁の再編を含む大幅な行政改革を主導した橋本政権の秘書官を務めた私にとって、他人事として見て見ぬふりをすることができないきわめて切実な問題である。なにしろ「独立行政法人」が誕生したのは、まさにその橋本政権当時のことだったからである。

 橋本政権が進めた中央省庁再編は、よくいえば官邸主導、悪くいえば官邸独走であった。自民党の意向をはねつけることも多かったのだが、独立行政法人制度は、自民党行政改革推進本部(行革本部)の主張が取り入れられた、数少ない例外の一つであった。もともと、独立行政法人制度は、自民党が平成八年の選挙で公約としたものであった。当時の自民党行革本部長であった水野清氏、そして柳沢伯夫氏、塩崎恭久氏の三氏が、サッチャー首相(当時)が導入したエージェンシー制度を学ぶべくイギリスを視察し、この制度に倣って、独立行政法人制度を構想したのである。

 エージェンシー制度とは、行政現場で働く人をエージェンシーとして役所から外に出し、アウトソーシングして、政策立案する役人と現場で実行する役人とを分けていくという制度である。この制度によって、サッチャー政権の下、行政の効率化が推進されたといわれていた。

 日本の場合、行政の実行部隊をアウトソーシングするにしても、これまでの特殊法人は国との距離が近すぎ、効率的な運営がなされにくい。そこで、国からの統制色の強い特殊法人と、民間の発意に基づき設立される財団・社団等の公益法人のあいだに位置する中間的存在として「独立行政法人」をつくるというのがこの制度のもともとの発想である。

 そのトップはなるべく民間人とし、企業会計原則も導入する。また、特殊法人の役員は国が任命するのに対し、独立行政法人の役員はそのトップ自身が任命できるようにする。「国の関与をなるべく薄めて、しかし民間だけに任せていたらできないような事務事業をやらせる。ただし、民間的な手法を最大限取り入れ、中期計画なども提出させて事後評価もしっかりやる。これこそ行政の効率化が実現する画期的なシステムだ」。それが自民党行革本部の言い分であった。

 当時私たち官邸にいた人間は、このような独立行政法人の構想には、きわめて消極的であった。結局、第二特殊法人化するのではないかとも思えたし、当時すでに、特殊法人が無駄遣いの元凶だという批判もなされていたから、またぞろ税金の無駄遣いの元締めをつくることは許されないと考えていたのである。

 あとで知ったところによれば、そう感じたのは、あながち間違いでもなかった。じつはイギリスのエージェンシー制度というのは、日本の特殊法人を参考にしてつくられたものだというのだ。まさに笑い話にもならない話である。

 自民党とすれば、中央省庁改革の本丸は官邸主導で手が出せないから、自分たちの手柄にできるものが欲しかったのだろう。だが、官僚はその裏で何を考えたか。私も官僚の端くれだったから、官僚の考えることは火を見るより明らかだった。要は、特殊法人に対する風当たりが強いから、独立行政法人のような新しい制度ができたらそこに逃げ込み、天下りを温存、あわよくば拡大しようと考えたに違いないのである。

 橋本総理のところに行革本部の議員が来たときも、私は問題点を指摘し、再考を促した。だが、橋本総理が最終的に「これまで省庁再編では官邸は自民党をないがしろにしてきた。せっかく自民党が海外調査までして仕入れてきた知恵なんだから、これくらいは花をもたせてやろう」と判断して、独立行政法人制度が始まることになったのである。そういわれれば私も引き下がるしかなかった。

 残念ながら、私の懸念は現実化してしまった。平成十五年、小泉政権が特殊法人改革を大々的に行なったが、蓋を開けてみれば結局、特殊法人から独立行政法人への「看板の掛け替え」にすぎなかったのだ。名称だけが変わって中身はほとんど変わらず、依然として天下りと利権構造が維持されてしまったのである。

 独立行政法人の役員の構成を見てみると、平成18年10月1日現在で役員六五五人のうち、官僚OBが227人、さらに独立行政法人OBが208人おり、合わせると、じつに435人に上る。つまり独立行政法人の役員に、霞が関のOBが3~4割いるという計算である。民間人出身の役員も少ない。しかも、独立採算でやっていける法人は少ないので、そこに国税から3兆5000億円が投入されている。官僚は退職する際に退職金をもらい、さらに独立行政法人の職員となり国から給与をもらいつづける。そして、独立行政法人の役員を退職するときには再び退職金をもらうこととなる。これら給与、退職金の原資は税金で賄われる場合が多い。

 官僚の世界には早期退職の慣行がある。勤続がある程度になり、ほぼ出世レースも片が付いたところで、定年を待たずに退職し、後進に席を譲る慣行である。だから官僚たちにとってみれば、天下りがあって初めて早期退職しても採算が合うという意識だ。だが、国民の立場から見れば、天下り官僚を養うために多額の国税が投入されるというのは、許し難い無駄遣いである。さらにいえば、それがために年金や医療や介護、教育など、日本の将来のために使われるべきお金が回らないことになるのだから許されないことだ。

■「本(もと)を絶つ」ことで淘汰せよ

 このような独立行政法人は原則廃止するか、必要であっても民営化をしていくべきだろう。では、具体的にどうすればよいか。じつは渡辺喜美行革担当大臣がやったような各個撃破方式は、非常に困難な道である。官僚は頭もいいし、反撃する材料ももっていて、理屈もこねる。個別に詰めていっても、時間も労力もかかるばかりである。

 独立行政法人改革を本気でやろうとするならば、何よりも「本(もと)を絶つ」ことである。まずは天下りを全面禁止する。そして、財投債の問題に手を付ける。この二つの兵糧攻めによって、独立行政法人はバタバタと淘汰されるはずである。

 まず、財投債の問題から見ていこう。

 財投債は財務省が発行する債券である。それを郵貯や簡保、年金積立金などに買わせて、その資金が「財政投融資」というかたちで独立行政法人に貸し付けられている。財投債は財務省が発行するわけだから、独立行政法人からすれば、自ら経営努力をしなくても、資金調達が可能となる。採算も取れないような独立行政法人の生命維持装置のように働いているのが財投債の存在なのである。

 もともと橋本改革では、財投債は例外的な措置に留め、原則は財投機関債にするという方針を打ち出していた。財投機関債とは、独立行政法人自身が発行する債券である。それを市場が評価して、価格が決定する。つまり、その独立行政法人がいかに業務を効率的に運営し、将来性があるかによって市場が評価し、債券が買われていくのだ。当然、非効率的で放漫な経営を行なっている独立行政法人の債券は引き受け先がないので、自然と淘汰されることになるのである。

 しかし、蓋を開けてみると、実際は財投機関債が例外的な扱いとなってしまい、官僚によって財投債が乱発され、それが相変わらず雪だるま式に借金として膨らんでいる。一説には、独立行政法人がこれまでに累積させてきた債務は300兆円ともいわれているのだ。

 もともと財政投融資の弊害を正すことは大きな課題であった。橋本改革では簡保、郵貯資金の大蔵省資金運用部への預託廃止をやり、小泉改革で郵政民営化を進めた。財投のあり方に鋭いメスが入れられたのは事実だし、民営化によって公的金融の色合いが縮小し、市場主義に基づいて運営されるようになったことは大きな進歩であった。

 しかし、せっかく郵貯、簡保のお金が自動的に独立行政法人に流れ込む仕組みを廃止したのに、財務省が財投債という悪知恵をひねり出して再び地下水脈でつなげてしまった。残念ながら、依然として非効率な公的資金の流れが温存されており、その病は確実に日本経済を蝕みつづけているのだ。こうした非合理は、本(もと)を絶たなければならない。財投債発行を例外的措置にし、真に限定的な運用のみを許すかたちにする。そうした手立てを取ることが必要である。

 独立行政法人に大鉈を振るうために、もう一つ断固として取り組まねばならないのが「天下りの全面禁止」である。これまで指摘してきたように、独立行政法人の問題は、官僚の天下りの問題と切っても切れない関係にあるからである。

 天下りが禁止になれば、独立行政法人はどんどん潰れていき、社団法人や財団法人も半分以上は淘汰されるだろう。

 そもそも社団法人や財団法人は、民法の規定によれば民間の自主的な発意によって設立されるものとされているが、実際は多くを国が主導して「設立してもらっている」。そして、そこに天下りの役員を送り込み、国からの委託費や補助金に給料分のお金を潜り込ませる。これが霞が関の常套手段であるのだ。たんなる天下り先温存法人が多い。

 天下りが禁止になれば、官僚はわざわざそんなことをやる必要はなくなる。省庁の組織防衛や無駄な補助金・許認可も、天下りが関わってくるからこそ出てくる問題である。とすれば、どんな行革をやるよりも、天下り禁止をやるほうがはるかにいい。

 とはいえ、官僚も人だから、一生のライフサイクルは考えてあげる必要はある。まずは先ほど述べた早期退職制度をやめて、キャリア官僚も含めて定年まで勤めてもらえるようにする。そのあとは共済年金は民間よりも高いのだから、十分暮らしていけるはずだ。もっと働きたいという人、自分の能力に自信がある人は、自分の力で転職をすればいい。

 官僚が恵まれているのは、官僚という立場を通じて経済界や学界等で広い交友関係を築くことができる点にある。官僚の世界にいれば人脈も広がり、いろいろな知識も蓄積される。それを評価した民間企業がヘッドハンティングしようとする場合もあるだろう。現に20~30代の若手キャリア官僚は、官僚時代の知識や経験、人脈を武器にして転職をする者も少なくなく、ここ5年間で約100人のキャリア官僚が転職しているといわれている。職業選択の自由は官僚とて保障されているので、官僚の転職自体は自由にすべきだ。

 しかし、天下りが転職と違うのは、膨大な権限を手にする中央省庁が人材の仲介や斡旋を行なうことにより、そこに強制性が発生するところにある。つまり普通の転職なら「来てほしい人に来てもらう」のだが、天下りは「ほんとうは来てほしくないのだけれど、来てもらう」のである。このようなことは断じて許してはならない。もちろん「人材バンク」で一元的に斡旋する仕組みも不要である。「人材バンク」というと聞こえはよいが、各省庁の人事担当者が出向して斡旋を行なうのだから、結局は各省庁が天下りの下ごしらえをして、それを人材バンクに持ち込んでマネーロンダリングならぬ「天下りロンダリング」をするにすぎない。人材バンクなどで天下りが根絶されるとは到底考えられない話である。

 そこまで締め上げたら、官僚であることの「うまみ」もなくなり、そのうえ何かにつけての官僚バッシングでは霞が関には優秀な人材が来なくなると嘆く声が聞こえてきそうだ。だが、その発想は逆だ。官僚OBがバカみたいな天下り渡り鳥をやっているから、いくら現役官僚が働いても評価すらされないのである。天下りを禁止し、霞が関への信頼が回復されれば、優秀な人材も再び戻ってくるはずだ。私が通産省に入ったとき、「政治は三流でも、官僚が一流だから日本はもっている」といわれた。ほとんどの人間は、一民間企業の利益のために働くよりも、少しでも国のために役立ちたいと思って官僚を志していたものだ。いまの若手官僚もそうだと信じている。

 官僚がプライドももてず、機能しなくなるとすれば、官僚組織も税金で養われている以上、国家として壮大な損失である。官僚が自ら率先して天下りの禁止を実現したら、一気に信頼も回復すると思うのだが、官僚自身が、とくに上の立場の官僚が、いまの世論の厳しさをどこまで理解できているだろうか。

■官僚の真の恐ろしさ

 政治家の立場からすれば、独立行政法人改革、天下り禁止等の行政改革は、国民の支持が集まるテーマなのだから、本来的には取り組みやすい政策であるはずである。だが体質的に政治家、とくに族議員といわれる政治家たちは、「選挙のために、地元に予算を付けてもらおう」などと、官僚とのあいだで貸し借りがあるから、たとえ官僚批判が国民の受けがよかったとしても、本格的にメスを入れようとしない。官僚は官僚で、天下り禁止などといわれれば、命に代えても阻止しようと族議員たちに泣きついていく。政治家はそこで恩を売り、「その代わり、何かよこせ」。情けない姿である。

 さらにいえば、官僚の真の恐ろしさを知らない政治家があまりに多すぎる。

 とにかく霞が関は「したたか」である。官僚というのは表立って正面攻撃はしてこない。正面衝突してくれば、まだやりやすいのだが、政治家をうまい具合に立てつつ、その代わりに見えない落とし穴をたくさん掘ってくるのである。たとえば文章の一行一行のあいだに巧妙にワナを仕込んでくる。ペーパー一枚であっても、露骨なことは書かずに、こっそり主張を潜ませてくる。最初に芽を摘まないと、次にもってくるペーパーにはさらに膨らました主張が盛り込まれてくる。

 たとえば道路にしても、いつの間にか1万4000キロつくるのだということになってしまう。なぜか。じつは官僚は道路改革の土壇場で、「どの道路をつくるかは国土交通省の審議会で最終的に判断します」という条文を入れ込んだのである。

 道路公団改革の当時、石原伸晃国土交通相は記者会見で「9342キロ全部つくるわけがありません。大臣がいっているんだから正しいんです」と力説したが、現在、冬柴鐵三国土交通相は「1万4000キロは法律(国土開発幹線自動車道建設法)や閣議決定、四全総(第四次全国総合開発計画)で決められており、取り消されていない」と語っている。大臣の言葉がいかに軽いか、そして官僚が、一度引いたように見せつつ、いかにじわじわと失地を回復してくるかが透けて見えてくる。

 だからこそ、「眼光紙背に徹する」という言葉があるように、官僚の書くものは「てにをは」までを含めて、一言一句チェックし、行間を読むようにしなければならないのだ。そうしないと、利権構造の温床を潰すことなどできない。

 官僚にぐうの音もいわさずに改革をやるためには、「本(もと)から絶つ」しかない。「天下りの全面禁止」と「財投債の限定的運用」。それこそが改革の本丸なのであり、それをすることによって初めて、真の意味での「原則廃止・例外民営化」へ向けた独立行政法人改革は進んでいくのである。

朝日新聞(4/5) 特別会計追及記事掲載
週刊朝日 4/11号 にインタビュー記事掲載