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江田けんじ 衆議院議員 神奈川8区選出(横浜市青葉区・緑区・都筑区)

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月刊「WiLL」(08年12月号) 「霞ヶ関の周到な手口教えます!」記事掲載

2008年12月15日 メディア情報 | 新聞・雑誌 tag: , ,

総力特集 政権交代なるか  霞ヶ関の周到な手口教えます! 月刊「WiLL」2008年12月号 掲載記事


江田憲司(衆議院議員)

●脱藩したから官僚と戦える
 私は二十人の元官僚とともに、「脱藩官僚の会(正式名称は官僚国家日本を変える元官僚の会)」を立ち上げました。なぜこのような会を立ち上げたか。それは私が、十年前に橋本内閣の総理秘書官として中央省庁再編に携わったことが大きいと言えます。
 当時は、「大蔵改革なくして行革なし」と言われたように大蔵省の改革が必要不可欠で、もう一方の柱は郵政民営化でした。大蔵改革は、スーパーエリート・パワー官庁を分割するということですから、それはもう凄まじい戦いがありました。
 大蔵省には政治家も官僚も逆らえないですから、黒子であるはずの総理秘書官である私が前面に出て、総理を支えなければなりませんでした。
 その時の経験から言えることは、「官僚に太刀打ちできる政治家がいない」ということです。それは知識や経験という能力の部分以外にも、予算の査定権と税の査察権を持っている大蔵省だから逆らえないということもあります。政治家は脛に傷を持っている人が多いので、そこを突かれると困る。実際、陰に陽にプレッシャーがあるわけです。
 そのような官僚主導を打破するためには、彼らが画策して改革を骨抜きにしたり、国益ではなく省益のために動くことをいち早く察知しなければなりません。それができるのは、彼らの手口をよく知っている元官僚で、しかも母屋である出身省庁と縁を切った人です。天下りの面倒を見てもらうような母屋と利害関係のある人では、とてもじゃないが官僚と戦うことはできないからです。
 それを一言で表現するために、「脱藩官僚の会」という名前をつけました。単に花火を打ち上げるだけの会ではなく、フットワークをよくして動いていきたいと思っていますが、なんと設立前から動かざるを得ないことが起こりました。
 六月に発起人会を開いたのですが、その一週間後に「緊急アピール」を出しました。それはまさに、官僚が周到に画策した動きを察知したからです。

●サボタージュで骨抜きに
 国家公務員制度改革基本法が成立したことは、一般にもよく知られていると思います。しかしこれは、改革のおおまかなメニューにすぎず、これから改革を行っていくためには公務員制度改革推進本部が鍵を握っています。
 この事務局の人事いかんでは改革を骨抜きにされかねないにもかかわらず、官僚はいわゆるサボタージュをして公募をはじめなかったのです。
 公募するためにはある程度、前倒しで募集しはじめなければなりません。一方で、法律では成立してから一カ月以内に公務員制度改革本部を立ち上げなければなりません。その期限を徒過させるために無作為の作為と言いますか、ひたすら嵐が通り過ぎるのを待っていた官邸官僚がいたわけです。つまり、気づいた時にはもはや公募をする時間はなくなり、彼らにとって都合のよい人間を送り込めるようにするためです。
 信じられないでしょうが、官僚とはこのような手口を使って、改革を骨抜きにするのが常套手段なのです。
 ですから、私たちはそれに対して、公募するならばこの時期までにこういうことをすませなければならないということを指摘し、公に警鐘を鳴らして事務局の官僚主導を阻止しました。
「脱藩官僚の会」は、このような官僚特有の改革骨抜きの動きを察知した時に、すぐさまメディアを通じて国民に情報提供をすることを目的としています。それによって、政治家が何らかの手を打つことができたり、世論が盛り上がれば、官僚主導政治への抑止力となるからです。

●霞ヶ関の見えない落とし穴
 官僚は正面攻撃をしてきません。見えない落とし穴を掘って、そこに政治家や国民が落ちることになります。しかし、落ちた本人は落ちたことすら気づかない。
 公務員制度改革本部の顧問会議に経団連の会長や連合の会長が入った例を挙げれば、わかりやすいかもしれません。経団連や連合の会長という大物を引き込んだので、大新聞は福田総理は公務員制度改革に本気で力を入れていると書き立てました。しかし、私たちから見れば、これは非常にわかりやすい官僚の手口の一つです。
 起こっていることは大新聞の書いていることの真逆で、官僚の狙い通りと言えます。経団連や連合の会長は当然、超多忙なので、会議に出席する人たちのスケジュールが合わない。すると、会議は二カ月に一度しか開かれないようなものになっていきます。
 また、忙しい人たちはよほどのスーパーマンでない限り、会議の準備をする時間などありませんから、結局、官僚がお膳立てした資料に基づいて議論を進めることになります。
 さらに、この顧問会議でも繰り広げられましたが、有識者からのヒアリングをするという「遊び道具」を与えて時間を費やさせておいて、一方、事務局は事務局で独自の答申を書く。そしてある日突然、顧問会議で議論された内容とは全く関係のない、官僚に都合のよいペーパーが現れることになります。
 私の携わった中央省庁再編の行政改革会議も同じような手口でした。延々と有識者のヒアリングをするので、心ある委員の方々は「いつまで我々にこんなことをさせるんだ!」と業を煮やしたくらいです。そして、いきなり今までヒアリングしたこととは何の関係もない再編の骨格案が出てきました。
 これはのっぴきならない事態ですので、私は橋本総理にお願いし、総理が事務局の次長と内政審議室長を呼びつけて、「事務局主導、官僚主導は絶対に駄目だ。委員主導にしろ」と彼らの動きをひっくり返しました。つまり、総理が直接に命令しなければ、官僚の暴走は止まらないのです。
 福田前総理は、「天下りをなくす必要などあるのか?」と言う人で、「官僚と共に」という考えですから、渡辺喜美氏が四面楚歌になったのも、改革がなかなかうまく運ばなかったのも当然でしょう。

●「天下りオリエンテッド」
 官僚といえども、二十代、三十代の若手官僚は、純粋に国のため、公のためという志を持っていて、政策志向で一所懸命に仕事をしています。しかし、それが四十代前後で管理職になる頃から、「政策オリエンテッド」から「天下りオリエンテッド」になっていく。七十歳くらいまでの一生安泰システムを守ることに加担させられることになります。
 それはストレートに何か言われるのではなく、次官や官房長や局長から「新しい政策を作るのであれば、何か団体を作って、そこに専務理事ポストを確保しろ」というようなことを暗に言われる。また、その団体にカネがないから政策と人件費と専務理事の給料分をまかなえるような「補助金を作れ」となり、補助金を交付する。
 このような一生安泰システムの維持、昔よく言われた言葉で言えば「大蔵一家」や「通産一家」を守るための能力があるかどうかが管理職以上の評価の分かれ目になります。若い頃は政策立案能力で評価されていたとしても、課長以上になると違ってくる。次官や官房長、秘書課長、人事課長の仕事の半分は、いかにOBを天下り先にはめ込んでいくか、天下りを維持して運営していくかに費やされることになります。
 二十代、三十代の官僚は、私の例で言えば、月に二百時間の残業をするくらい働いています。官僚は法律を作るのが仕事ですが、去年の通常国会でも百本くらい法律が作られていて、そのうち九十本は官僚が作っています。法律を作るのは文章を書くのとは違って「てにをは」をはじめ細かい作業が続き、法制局などと何度も詰めて作り上げていくものですから徹夜の連続になります。
 私も同じように働いてきて若手官僚の過酷さを知っていますから、官僚バッシングのためのバッシングをしているのではありません。残業代ももらえずに毎日、朝まで働いているにもかかわらず、上層部が天下りをして世間から白い目で見られるのでは一生若手官僚は浮かばれないと言いたいのです。
 霞ヶ関は行政府ですから税金でまかなわれており、しかも未来永劫、必要だとすれば、ここが機能不全に陥って無用の長物となれば、それ自体が壮大な税金の無駄遣いだと言えます。国民は霞ヶ関に嫌気がさしていると思いますが、行政府として霞ヶ関を置いておく以上、この組織を効率化し、スリム化して、中にいる人間にやる気を出させるしかありません。
 いまや官僚は誇りが持てなくなっています。誇りの持てない職場に優秀な人材は来ない。だからこそ、心ある官僚は天下りや税金の無駄遣いを自ら率先してなくすべきだと言いたいのです。すべて身ぎれいにして、もう一度、国民に信用してもらえるように努力し、誇りの持てる職場にするしかありません。
 しかし「過去官僚」と言われる人たちは、「天下りをなくしたら、優秀な人材が来なくなる」と言います。全く現状がわかっていない発想です。
 例えば、今では東大法学部の優秀な学生は法科大学院に行きます。または、外資系金融会社に就職したりする。なぜならば、少し前までは近所で「ウチの主人は外務省に勤務している」と言えなかったし、その前には「大蔵省に勤務している」と言えなかったからです。今は、「社保庁に勤務している」と言えないでしょう。
 そういうところに、優秀な人材が集まるわけがない。私でも、今のような状態なら息子には官僚になってほしくありません。
 一九七九年に日経連の桜田武氏が「日本は政治は三流だが、民間と官僚が一流だからもっている」というような発言をされました。丁度その年に私は通産省に入りました。
 私はそんなに問題意識の高い学生ではなくて、いわばノンポリでしたが、父親が警察官だったこともあり、どうせなら公のためになる仕事をしたいと思っていました。しかし、政治家になろうという気持ちは少しもありませんでした。当時は、それを実現するなら官僚だろうと思ったわけです。
 その後、先に述べたように月に二百時間もの残業ができたのも、ブロイラーのように夕食の弁当が出され、デートもできないような生活を続けられたのも、世間から「日本は官僚でもっている」と言われた誇りがあったからです。カネじゃありません。
 通産省は「通常残業省」と言われていて、そういう生活だということを知っていて、それでも入ったのですから、若手官僚はカネで仕事をしているのではないのです。
 ところが、今の官僚は誇りどころか、世間から白い目で見られているのですから、そんなところによい人材が集まるわけがありません。

●霞ヶ関のソフトウエア改革
 では、霞ヶ関が存在していること自体が壮大な税金の無駄遣いになる前にどうすればよいのか。
 一生安泰システムを維持するための「強烈な帰属意識」「縦割り意識」をぶち壊す必要があります。そのためには天下りの禁止は必須です。
 また、省庁間で人事異動をすることも必要です。道路局に入った人が一生、道路局にしかいられないから道路利権を守る。これはトヨタに入った人がトヨタを守るのと同じです。そういう人間の根元的な問題にまで遡って手当しなければなりません。
 つまり、入口と中間と出口で、「オールジャパン」の意識を持った日の丸官僚を育てるようにしなければならないのです。少なくとも総合職は一元採用をして、イギリスのように何年かごとに各省を回るようなシステムにする。出口も省が斡旋しない。
 中間の人事評価システムは、一般企業と同じく能力実績主義でよいと思いますが、その尺度は何かが問題です。能力を測る基準をはっきりさせておかなければ、天下り先を作ったり、そこに補助金を出したことが評価されることになる。
 当たり前のことですが、国のために働いたかどうかで評価すべきでしょう。今で言えば「脱藩官僚の会」の高橋洋一氏のように「埋蔵金を発掘した」ことで評価しなければなりません。高橋氏の場合は、それが評価されるどころか財務省にいられなくなったのですから、こんなおかしなことはない。本末転倒です。
 いかに行政組織をスリム化したか、税金の無駄遣いを省いたか、ということを「能力」として評価するための基準を、内閣人事局が作らなければなりません。ここがあやふやだと、能力実績主義はすぐに官僚の独善に陥ってしまいます。
 今、内閣人事局で何が起こっているかというと、総務省の旧行政管理庁の二つの局だけで構成しようとしています。これは官僚にとって、とてもハッピーです。旧行政管理庁の役人は総務省の中に埋没してしまい、なかなか次官にもなれないのを覆そうとしているわけです。
 内閣人事局は、財務省の給与部門と人事院の人事部門を入れて構成しなければ、意味をなしません。これは、一般の人にはわかりにくいかもしれませんが、ものすごく重要なことです。人事権と給与を握らなければ、入口、中間、出口での官僚の組織防衛に太刀打ちできないからです。
 内閣人事局が行管庁の二局だけで構成されると、定員と恩給の査定しかできないことになります。そうではなく、懲罰を含めた人事評価や給与の格付けまでできるようにしなければなりません。本来の意味での能力実績主義を取り入れるにしても、天下りの根絶を行うにしてもこれが必要不可欠です。
 内閣一元化と称して人材バンクを設けるといいますが、これでは各省庁が影響力を行使するようになることは明らかです。ですから人材バンクも廃止する必要があります。しかし、定年まで勤めてもらうとなると、今の給与システムでは年功序列ですからどんどん人件費がかさむことになるので、給与法を抜本的に改正しなければなりません。嘱託や研究員などの職種を新たに設けて、給与は三分の二や半分に抑える必要があります。
 そういうことを官僚の抵抗をはね除けながら実現するためには、内閣人事局が人事権と給与を握り、しかも局長には官僚ではない人がならなければなりません。これができなければ、政治家が「官僚を使いこなす」と言ったところで絵に描いた餅です。内閣人事局が力を持った組織になった上で、さらに公務員制度改革を断行しなければならないのです。
 私が十年前に行った改革はハードウエアの改革でしたが、今回はソフトウエアの改革です。もちろん、十年前にもソフトウエアの改革まで行おうとしましたが、政権が続きませんでした。麻生総理は「公務員制度改革なんて本当にやるの?」と言っているような人ですから、ソフトウエアの改革を本気でやる気があるのかどうか、極めて疑問と言わざるを得ません。

●政治家の帝王学
 政治家には官僚組織をマネジメントする役割があります。先日、舛添厚労相が「後期高齢者医療制度を廃止する」というようなフライング発言をしましたが、これは組織をマネジメントできていないことの証左だと言えます。政治家ではなく、評論家としての発言をしたと見るべきで、地に足がついていない。
 厚生労働省のような大きな組織を動かすためには、単に頭がよいとか政策に精通しているだけでなく、もっと別の能力が必要になります。マネジメント能力というのは、実際にマネジメントして身につけなければ育ちません。
 舛添厚労相と同じことが安倍元総理にも言えます。官房長官には組織はなく、秘書官しかいませんから、マネジメントをせずに総理になってしまったのが問題でした。
 マネジメント能力がないまま大組織を指揮すると、「机上の空論」で浮いてしまうか、丸め込まれるかのどちらかになります。今の舛添厚労相は丸め込まれている状況でしょう。また、後期高齢者医療制度を廃止するとか見直すとかの話については、次官も聞いていないのですから本気の発言ではなかったと見るべきです。
 なぜなら、もし本気で廃止するのであれば、組織の中の自分が信用できる数人にだけでも相談し、どのような手続きを踏めばできるのか、難しさの度合いはどのくらいか見通しを立てなければなりません。ですから、舛添厚労相は単なるアドバルーンを上げただけでしょう。
 昔の自民党は、総理総裁になるためには党三役のうちの二役や、大蔵、通産、外務大臣のうち二つを経験する必要があるという帝王学がありました。これが全てにおいていいことだとは言いませんが、大きな組織を動かした経験がなければ、総理総裁になっても何もできないからです。
 私が総理秘書官としてつかえた橋本元総理は、組織をわかりすぎていたというところが弱点であり、逆に思い切ったことができませんでした。小泉元総理は、浮いていましたが、竹中平蔵氏や高橋洋一氏らが周囲にいたということが強運だったと思います。小泉元総理のように、自分に欠如している能力を知っていればそれを補うブレーンを周りに配置すればいいのです。
 総理総裁になる人は、節目節目でそれなりの仕事をしてきていれば、学会であれ財界、シンクタンク、官僚であれ、豊富な人脈ができますから、自分なりのブレーンを配置することが可能です。しかし、福田前総理も安倍元総理も、そういう人脈がなかった。それでホワイトハウス型の官邸を作ろうとしても、できるわけがなく、頓挫するのは当たり前です。

●民主党の一番の懸念
 私は、公務員制度改革については民主党案のほうがよりよいと思っています。民主党案は天下りを禁止する、約百人いる省庁の局長級職員に国会議員を張り付かせるとのことなので、その点においてまだマシだと評価しています。
 民主党はこのような公務員制度改革を公約しているのですから、もし政権を取って、これをやらなかったら国民から逆襲されるでしょう。公約した限りは、やってもらうしかない。
 官僚にしてみれば、民主党が政権を取って民主党案がそのまま行われれば、官僚組織が根底から崩れる驚天動地の世界ですから、幹部官僚にしてみれば今は混乱して対応できず、何も考えられない状況でしょう。
 官僚は法案を通されてしまえば、それに従うしかない存在です。ですから、民主党案が通れば、それは革命だと言っても過言ではありません。
 ただし、民主党の支持基盤が自治労等の官公労だという事実があります。民主党には公約した限りは本気で官僚組織にメスを入れてもらうしかありませんが、その時は小泉政権や安倍政権以上の激しい抵抗にあうことになります。
 私が民主党に抱いている一番の懸念は、まさに彼らが自治労等の官公労から票をもらっているということです。もちろん、自民党も業界の組織票がありますが、民主党のこれら組合による組織票へのアレルギーは強い。
 官公労は行革反対の姿勢ですから、民主党が政権を取ったのちに票をもらった彼らと決別できるかは正直、厳しいものがあります。
 それでも民主党にとってもやるしかない。なぜなら、もし政権を取って公約を守らなければ、次の参院選ですぐに負けるからです。そうなれば、また衆参のねじれが起こり、今と同じ状態になる。
 私は民主党案の歩留まりは八割でもいいと思っています。公務員制度改革をしなければ、日本は何も変わらないからです。官僚主導の政治から国民の手に政治を取り返すためには、官僚の手練手管を知り尽くした私たちの使命は大きいと思っています。

新聞各紙(2/12)に「運動体発足式」の記事掲載
神奈川新聞(12/22)「選挙前に『旗』を掲げよ」のインタビュー掲載