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小泉なる幻影、そしてその責任

2009年2月23日  tag: , ,

21世紀に入って日本の政治の風景は一変した。特に、私は20世紀最後の頃、橋本政権の政治担当総理秘書官をしていたから、尚更そう思えるのかもしれない。もちろん、その最大の要因は、小泉純一郎という政治家が表舞台に出てきたことだ。

 まず、政治の舞台の枢要な役者が変わった。十年前なら考えられないような政治家が総理や大臣になった。すべて小泉首相が取り立てた人ばかりだ。麻生太郎、安倍晋三、福田康夫、そして麻生太郎。今回、しどろもどろ会見で辞任した中川昭一もそうだ。

 特に、麻生氏については、橋本政権で初入閣(経済企画庁長官)だったが、「良きに計らえ」の何にもしない大臣だったことは前にも述べた。その彼に、自民党政調会長、総務大臣、外務大臣という重責を担わせ、総理までしたのは小泉氏だ。だから、今回の郵政民営化をめぐる麻生vs小泉の争いは、いわば「飼い犬に手を噛まれた」痴話げんかで、飼い主にも責任があることは既に指摘した。

 安倍氏も、全くの無名から官房長官、自民党幹事長等々と「促成栽培」で総理への道を開いた。その末路についてはご承知のとおりだ。今となっては、それが安倍氏にとって良かったのかどうか。もっと経験を積み満を持して登板すればよかったのにと思う。

 森政権で、中川秀直官房長官がスキャンダルで退任を余儀なくされた時、その後任に福田氏を押し込んだのも小泉、当時清和会会長だった。その後、数年、小泉首相の下で官房長官をつとめ、一旦退いたが、「安倍にも総理になれるんだから」と、本来、その任にない総理への野望をかき立てられた。その結果も惨めなものだった。

 もう論評にも値しない中川昭一氏の醜態については、私も、身体検査担当秘書官だったから、当然、その酒癖その他について知っていた。初入閣こそ小渕政権だが、その後、農水大臣、経済産業大臣と要職を歴任させたのも小泉氏だった。ただ単に、保守派、右派ということで重用する小泉、麻生両総理に、危なかったしさを感じていたものだ。だから今回の件は「ついに来るものが来た」という感じだ。

 小泉総理、あるいは小泉改革については、私は一定の評価をしている。頑固で人の意見を聞かない意固地ではあるが、その突破力にはなかなか魅力的なものがあることも事実だ。しかし、日本の政治をここまで劣化させた責任は、やはり小泉氏にあると言うしかない。

 その小泉氏が政界再編に動く? あり得ない。「政局の小泉」だから自分の発言の余波を楽しんでいるところはあるだろう。しかし、今からリスクをとって自らが行動することはない。先週も、もう小泉純一郎という政治家の正体を見抜いた方が良いと書いた。

 一般の人には信じられないかもしれないが、この人は最も自民党的、かつ、派閥的な政治家なのだ。その証左に、「自民党をぶっ壊す」といって本当にぶっ壊したのは、郵政や道路を基盤としていた「経世会支配」だった。彼が以前所属した「清和会」は、力は随分衰えたとは言え、党内第一派閥として幅を効かせている。自分の息子も世襲批判もものかは、その後継者にした。代々続く、政治家が家業の小泉家に、これ以外の選択肢はなかった。

 そして、郵政民営化以外には興味も関心もない。あれだけ総理当時に本気に思えた「道路改革」も、当時の側近に聞くと「良きに計らえ」でやる気がなかったという。「道路改革」が失敗した所以だ。何より一枚紙以上に注意力が続かない。それでも郵政民営化以外、身を乗り出すことはなかったという。

 そういう小泉純一郎という政治家に、ここ数年、日本の政治は翻弄されてきた。劇場型政治のあとは、誰がやってもやりにくい。まだ、次の総理はという世論調査で、小泉氏が上位に来る所以だ。これだけ小泉改革に対する批判が高まってきている中で、なぜかその矛先が竹中氏に行き、相変わらず小泉氏の人気は高い。これをどう解せばいいのだろうか。一人の政治家として、なかなか考えさせられる命題である。

 もう一度言う。私は、不良債権の処理をはじめ「小泉改革」には一定の評価をしている。今、「小泉改革是か非か」「構造改革是か非か」という議論が盛んだが、そういう問題のとらえ方自体が間違っていると私は思う。

 私が推進し、支持してきた「構造改革」とは、予算配分の組み替え、ゼロベースでの見直しを含む財政構造改革であり、不必要な既成の撤廃や必要な規制強化を含む規制改革であり、天下りの禁止をはじめとする税金の無駄遣いの解消を含む行政改革等である。論者によって意味するところの違う「小泉改革」「構造改革」をあげつらって、十把一絡げに議論してもしょうがない。

 今日もメディアでは、こうした総論だけで各論に入れない政治討論が横溢していた。現実は、そんな抽象論よりはるかに複雑怪奇だ。そろそろ、地道に、地に足のついた政治のあり方を具体的に議論したらどうか。「劇場型政治」は、日本にはもう必要ない。

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