国民一人一人の夢を実現できる社会を実現したい

江田けんじ 衆議院議員 神奈川8区選出(横浜市青葉区・緑区・都筑区)

文字サイズ
Home  > コラム  > 今週の直言  >  視界は開けた!・・・日本維新の会、分党へ

カテゴリー月別

視界は開けた!・・・日本維新の会、分党へ

2014年6月 2日  tag:

 日本維新の会が分党することになった。石原慎太郎さん、橋下徹さんという二人の政治家が、お互いの信念を貫きとおした結果、出された結論なのだから、その決断に対しては心から敬意を表したいと思う。


 ちなみに、今回の一連の過程の中で、私が「自主憲法制定」という文言に強く反対したことがあったことは事実だが、それも私の政治家としての信念からだった。


 結いの党の憲法観は、その綱領にもあるとおり、「現行憲法が戦後果たしてきた役割は率直に評価した上で、憲法も不磨の大典ではないので、時代の要請に応じて改正していく」のは当然というものだ。「自主憲法制定」という言葉は、字義通り解せば何の問題もないが、そこには、どうしても「現行憲法の破棄」やその「価値観の否定」という意味合いが込められており、極めてイデオロギー色の強い言葉であることは政界では常識だ。石原さんが最後まで、この言葉こだわった理由もそこにある。そう、「自主憲法制定」は「普通名詞」を超えて、既に「固有名詞」化しているのだ。


 今回の件で、あらためて「政治理念」と「基本政策」の一致が政界再編、野党再編には不可欠だということを再認識した。維新が分党、新党結成の暁には、政策協議を再開し、しっかりとした合意形成を成し遂げたいと思う。


 それしても、石原慎太郎さんという政治家は、私とは主義主張は水と油だが、やっぱり、そんじょそこらの政治家とは違う。これはお世辞でも外交辞令でもない。昨今、自分の信念を貫き通す政治家はまれだ、選挙のためには「八方美人」、自分の信念や政策を曲げ、一票のためには有権者の「靴の裏までなめる」政治家がいることも事実だ。


 今回、維新が「分党」という結果になったのは、まさに、政界では珍しい「信念の政治家」、石原、橋下両氏が、その信念を貫き通したからだ。不肖、江田憲司も含め、この三人のうち一人が欠けても、今回のような事態にはならなかっただろう。その意味では、この結果を次につなげていくのが我々の責任だ。


 しかし、この分裂劇をめぐっては、早速、口先だけでリスクをとらない政治家や、政治の苛烈さの中に身を置いたことのない政治評論家、コメンテーターが、小さな野党がさらに分裂してどうするんだ、などと無責任なことを言っている。


 結果で評価していただくしかないが、なぜ、みんなの党の分裂、維新の会の分裂を、今の寄り合い所帯の政党を「政治理念」や「基本政策」を軸に整理整頓していく、そのための前向きな動きとしてとらえられないのか。


 たしかに、短期的な局面局面では、野党が細分化され、一つ一つの政党の数は減る。しかし、そんなことはどうでもいい!その先には、私が初当選の時以来、訴えてきた「政治理念」や「基本政策」を一致させた「真っ当な政党政治」が実現できる。そのための「分裂」「細分化」なのだ。


 今の自民党も民主党も、そこをおろそかにして、数がほしい一心で「野合」を重ねてきた結果、理念や政策の違う議員の「寄り合い所帯」化し、政権をとった途端、重要な、基本的な政策ほどまとまらない、そこに官僚が出てきて「先生方、この辺で足して二で割って、こんなところで如何でしょうか?」と、ろくでもない政策が羅列されてきた。これが日本の政党政治の構造的欠陥だ。この現実を直視しなければならない。


 そんな「ニセモノの政党政治」が続く以上、官僚主導の政治は絶対に改まらない!国民が置き去りにされ、この国が終わってしまう。これが私の政治家としての原点であり、信念なのだ。今後、必ず、次の総選挙までには、「自民党に対抗しうる、政権交代可能な一大勢力」を、理念や政策軸で結集していきたいと思う。


あらためて決意した今回の「分党」劇だった。

シリーズ:「集団的自衛権」を考える・・・⑤なぜ「集団的自衛権」でない事例を掲げたのか?(「安保法制懇」報告を受けた安倍首相会見)
シリーズ:「集団的自衛権」を考える・・・⑥法律ではなく憲法上の歯止め必要