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シリーズ「集団的自衛権」を考える・・・⑪安倍首相と政府の見解は世界の異端(結いの党見解が通説)

2014年7月14日  tag:

 マスコミも安倍首相や外務官僚の言うことを鵜呑みにしないで、少しは国際法の教科書ぐらい読んでほしい。そこには、「集団的自衛権の本質・性格」について、以下のように三つの説があるとされる。それによれば、安倍首相や日本政府・外務省の見解は第三説で少数説であることがわかる。


 第一説は「個別的自衛権共同行使説」で、「集団的自衛権」とは「両国がそれぞれの個別的自衛権を共同して行使」するものとされる。これでは「集団的自衛権」という概念自体が要らなくなるので多数説にはなっていない。


 第二説は「他国防衛説」で「他国を防衛する権利(正当防衛概念のうち「他人の権利の防衛」に対応)」とされ、国際司法裁判所が採用しており、通説(多数説)となっている。


 第三説は「死活的利益防衛説」で「他国への武力攻撃で自国の死活的な利益が害された場合に行使」するものとされ、従来、日本政府がとってきた見解でもあり(以上「国際法」東信堂より)、まさに今回、安倍政権が採用するロジックに他ならない。しかし、少数説だ。


 今回の閣議決定は、他国への攻撃を端緒とはしているものの、その結果、我が国の「国民の生命、権利を根底から覆す明白な危険」を要件としている。すなわち、「自国防衛権」としてとらえているので、それは結いの党の見解どおり、国際法上も「個別的自衛権」の範疇に入るものなのだ。わざわざ「集団的自衛権の限定容認」と称する必要もなければ、称すればそれは日本独自の見解で、国際法上、異端の説を採用していることになる。


 だから、結いの党が、例の「15事例」について、従来、軍事の現場を知らない内閣法制局が必要以上にその範囲を狭めてきた「個別的自衛権の解釈」を、国際標準に合わせて「適正化」することで十分対応可能と主張するのに対し、安倍首相や安保法制懇の学者や外務省OBが「国際法上おかしい」と批判するのは、まさに「天に唾する」ものだということがおわかりいただけよう。


 その「個別的自衛権」だが、ニカラグア事件の国際司法裁判所の判決等の国際法上では、国連憲章第51条の「武力攻撃の発生」とは、そのものズバリの「発生」に限らず、それが「切迫」「急迫」しているという要件も認められるとされる。「個別的自衛権」が、「武力攻撃」が「発生」していなくても、「武力攻撃が真に急迫している場合」にも行使可能というのは、国際法上の共通理解なのだ(講義国際法/有斐閣より)。


 ご存じのように、国連憲章51条は、まだ核は使用される前、弾道ミサイルは開発される前の時代に制定された条文だ。それがその後、武器技術の進展、特に核・ミサイル・大量破壊兵器の開発等で、その要件たる「武力攻撃の発生」という概念、その捉え方を変えざるを得ない状況、事態がどんどん増えてきた、「自国を守るべき」対象が、「発生」そのものだけでなく、その「急迫した危険」にも拡げないと、とても国民の生命・財産を守る、領土領空領海を守ると言えない状況が出てきたのだ。その結果、その概念自体を変えざるを得なくなったことは容易に想像できるだろう。


 そう、国際法の常識に照らせば、国際社会の共通理解によれば、結いの党が発表した15事例の見解、すなわち、現実には想定しにくい架空の事例を除き、個別的自衛権あるいは警察権の範囲で読める、解釈の適正化で対応できるという見解は正しいということだろう。今回の安倍政権の閣議決定は、好意的に、かつ我田引水的に解釈すれば、集団的自衛権に踏み込んだと標榜しているという一点を除き、我が党の見解をオーソライズしてくれたものとも言えるのである。

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