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「日米自動車交渉」(95年6月)秘録 連載スタート

2017年2月17日  tag:

 最近、日米首脳会談で通商・貿易問題で二国間交渉という話になって、昔、私が携わった「日米自動車交渉」(95年6月)のことをメディアからよく聞かれます。

 橋本(通産大臣)・カンター(USTR代表)の、竹刀をのど元に突き付ける場面で有名なこの交渉ですが、日本がはじめて米国の理不尽な要求(市場主義・自由経済に反する数値目標)をはねつけて決着した交渉としても有名です。

 この交渉で「男を上げた」橋本龍太郎さんは、その直後の自民党総裁選(95年8月)で、超派閥の応援を受けて総裁に就任し、数か月後の突然の村山富市総理の辞意表明で総理になるのです。当初は幹事長、大蔵大臣を歴任した橋本さんにとって通産大臣は軽いポストだったのですが、政治の世界はわからないものですね。

 そういえば、そのあまりの勢いに、当時の河野洋平総裁が総裁選を降りるという事態にもなりましたし、小泉純一郎さんがやっとこさ20名の推薦人を集めて対抗馬として出馬したということもありました。なつかしい思い出です。

 ちなみに竹刀はカンターからの贈り物。もちろん橋本さんが剣道家と知ってのことです。それを受け取った橋本さんはその使い方(握り方)をカンターに教え、その成り行きで、その切っ先を橋本が自分の喉元に突き付けたのです。

 場所は最終交渉のジュネーブ。顔は笑っていますが、この時は「決裂」を覚悟していました。その悲壮な覚悟を、茶目っ気たっぷりの橋本さんがこうした所作で表したのです。

 ここでは8回(大臣同士の差しで5回)交渉をしましたが、まったくの平行線だったからです。しかし、この交渉は土壇場の6月28日、その最後の瞬間に急転直下決着することになるのです。

 今回、あらためて当時の資料を取り出してみましたが、そこに私の日記がありました。面白いので、その臨場感あふれる交渉場面をここで連載していきたいと思います。

(モノクロ写真の片隅に写っているのが秘書官当時の私です。)
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