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江田けんじ 衆議院議員 神奈川8区選出(横浜市青葉区・緑区・都筑区)

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橋本元首相を悼む

2006年7月 3日  tag:

 橋本元首相が亡くなった。享年68。あまりにも早すぎる死で、これからも外交や環境問題等の分野で、まだまだご活躍いただけると思っていただけに残念でならない。通産大臣秘書官、総理秘書官と四年一ヶ月、「大臣とは何か」「総理とは何か」を骨の髄まで学ばせていただいた。

 ただ、ここ数年の私は「不肖の息子」であったことをお詫びしなければならない。元々議員秘書ではなかったので政権終了(98年7月)と同時に橋本氏の下を去り、選挙に出てからも、特に自民党を離党し政治的立場を異にして以来、疎遠になりがちだった。「経世会・旧田中派なるもの」とは対峙すべきと考える政治家の一人として、その「派閥の会長になってしまった元首相」を、正直、敬遠してもいた。政治家としての、人間としての、度量の狭さを今悔いている。

 ただ、そういう中でも二回だけ、心配になって直接意見したことがある。一度目は01年4月の自民党総裁選の時で、派閥のメンバーが「究極の消去法」として橋本氏を担ぎ上げようとした時、「その時にあらず」と反対した。二度目は「日歯連のヤミ献金事件」の時で、マスコミ対応を見て「一億円ものお金を受け取りながら『記憶にない』では世間に通用しない。それを帳簿に付ける付けないかが問題なのだから、それを指示したわけではない以上、証人喚問でもなんでも受けるべきだ」と諫言した。

 「橋本龍太郎」という人間を知る者として、この「日歯連事件」は痛恨の極みだった。事の真相は、私が元首相の下を去った後のことなのでわからない。が、一つだけ自信をもって言えることは、少なくとも私が知る橋本氏は、およそ利権やカネを漁る「金権政治家」とは180度違う政治家だったということだ。四年一ヶ月毎日そばにいて、その類の指示を受けたこともなければ、それを示唆する言動すら聞いたことがなかった。

 利権やカネには無頓着で、常に頭には政策があり「政策三昧」という言葉が一番当てはまる政治家だった。普通の政治家なら好む「政局」や「権力闘争」には一切関心を示さず、政敵でも適任と思えば平気で重要ポストに登用した。

 派閥的政治家でもなかった。「群れない」孤高の政治家で、決して他の政治家にとって面倒見の良い政治家でもなかった。家族との時間を大事にし、政治家との夜の宴席も不承不承といった感じで、大物政治家でありながら子分がいない「一匹オオカミ」といわれた所以だった。

 思えば首相になったのも、日米自動車交渉で名を馳せ、それが派閥横断的な推挙の動きにつながったからだ。当時は派閥のボスでも何でもなかった。その橋本氏が小渕首相逝去の後、元首相で「座りが良い」という理由で、分裂気味の派閥の「蝶つがい役」として、不得手で不似合いな派閥会長に祭り上げられた。
 今にして思えば、ボタンの掛け違いは、ここから始まったように思えてならない。派閥会長でなければ、少なくともご本人が一番嫌う「一億円の授受現場」に同席することもなかった。

 どの政権にも「光」と「影」がある。橋本政権とて同じことだ。「光」については率直に評価し、「影」については厳しく反省し将来につなげることが肝要だ。しかし、橋本政権最大の不幸は、その「影」の部分ばかりが強調され、「光」の部分が完全に封印されてしまっていることだ。特に「日歯連事件」以降は、何を言っても詮無い状況が続いてきた。

 しかし、小泉政権が、曲がりなりにも「官邸主導」「首相主導」の政治を実現してこれたのも、あの「橋本行革」で、経済財政諮問会議の創設等そのためのシステムを、当時の橋本首相が作り上げたからにほかならない。
 この官邸機能の強化を含む中央省庁の再編や財政構造改革、国と地方を主従の関係においていた「機関委任事務」の廃止を主眼とする地方分権推進一括法の策定、金融ビッグバンをはじめとする規制緩和の推進や介護保険の創設。まさに今、小泉政権が進めている「構造改革」の礎を築いた。
 首脳外交では、日米安保の再定義、ガイドライン法の策定や沖縄の「普天間飛行場の返還」をクリントン米大統領との間で合意し、ロシアのエリチィン大統領との間では、北方領土問題を解決し「2000年までに平和条約を結ぶ」というクラスノヤルスク合意を締結した。残念ながら志半ばで政権が崩壊したため日の目をみなかった合意もあるが、いずれも、外務官僚主導ではない、鮮やかな外交手腕、官邸外交のなせる技だった。
 このような橋本元首相の功績は、後世、必ずや歴史が公正に評価してくれるものと信じている。

 小泉首相は「自民党をぶっ壊す」といって登場し、「構造改革路線」を推し進めてきた。まさに橋本元首相が用意した「官邸主導」という武器を使って、見事に「橋本派」「旧経世会」ひいては「派閥政治」をぶっ壊したのである。皮肉な歴史の巡り合わせとしか言いようがない。そして、その小泉政権が終わろうとする時、当の橋本元首相も逝ってしまった。

 政治はかくも過酷で熾烈なものなのか。一人の政治家として、ここにあらためて、心からご冥福をお祈り申し上げます。合掌。

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