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江田けんじ 衆議院議員 神奈川8区選出(横浜市青葉区・緑区・都筑区)

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シリーズ/なぜ国際貢献なのか?・・・ (10) 司令塔と人材と基本法と

2007年12月24日  tag:

 これまで、私なりの国際貢献のあり方について述べてきた。いや、「国際貢献」という、少し国際社会から距離をおいた、第三者的表現ではなく、「国際社会での責任(役割)分担」と言った方が良いかもしれない。

 なぜなら、今や日本は、国際社会の動きや考え方を所与の前提とした「従属変数たる国」ではなく、この世界において、決して卑下すべきでない「主変数たる国」になるべきと考えるからだ。

 そのために我々は何をなすべきか。私はこのシリーズで、口を酸っぱくして、だからといって一目散に軍事的な貢献にいくべきではないということを言ってきた。世界は様々で、それぞれの国ごとに得手不得手がある。日本の場合は、先の大戦の反省の上に立って、まずは、その外交力、資金力、技術力等を駆使して、世界平和のため、人類福祉のために、積極的なイニシアティブをとっていくべきなのだ。何も肩肘はって背伸びをした役割分担である必要はない。

 最大の同盟国、米国との関係では、「色々な顔をもつ米国」「草の根民主主義が機能する米国」そして「懐の深い米国」といった認識を踏まえた上で、日本人的なあいまいさではなく、お互いの利害をストレートに議論した方が良い。

 私が通産大臣秘書官当時たずさわった「日米自動車交渉」では、世界の耳目を集める中、実に17回にのぼる熾烈な閣僚交渉を経て、結果的に米国の求める「理不尽な数値目標」をはねつけた。その当時も「この問題で日米同盟を損なうな」という外務省や米国親日派のプレッシャーは今以上に相当なものだったが、その後、時をおかず総理となった橋本氏とクリントン大統領は、何事もなかったように「新日米安全保障宣言」(96年4月)を発出したのである。

 今回の「インド洋上での給油問題」でも、マイケル・グリーン元国家安全保障会議上席アジア部長、アーミテージ元国務副長官といった、一部親日派の人物たちが様々な警告を発したが、割り引いて考えた方がよい。彼らは確かに、日本の良き理解者であり、日本のために米国内で働いてくれる人材であり、それなりに遇する必要があるが、彼らの発言にはバイアスもかかっている。どうしても日本への自らの発言力向上を武器に、米国内、政府内での地位向上を果たそうとする思惑が働くからだ。我々は、米国親日派のために政治をやっているのではない。

 国際社会の取締役会、国連安保理は確かに頼りない。常任理事国の思惑が錯綜して中々臨機応変な国際情勢への対応ができず、隔靴掻痒の感がある。しかし、いまさら、国連に代わる新しい国際秩序なぞ構築できるわけがないのだから、この国連の性根をたたきなおしていった方が近道だ。そのための労苦を今後とも日本は厭うべきではないし、常任理事国入りへの努力も引き続き重ねていくべきだろう。

 常任理事国入りのためには、軍事力の行使ができる「普通の国」になるべきだという議論にも、逆に、常任理事国入りしたら軍事協力も余儀なくされるので反対という議論にも、私は与さない。軍事協力は常任理事国入りの条件ではないし、常任理事国入りすれば、国連との協定で日本の憲法上の制約を明定することもできるし、そこまでしなくても、そもそも常任理事国なのだから、安保理の場で自らの立場をはっきりさせることもできるのだ。

 そして、自衛隊の海外派遣については、この国連の決議、言い換えれば、この地球上で唯一「国際社会の総意」と位置づけられる、正当性あるベースに基づいて検討されるべきことは既に述べた。緊急人道支援や災害救助、PKO(国連平和維持)活動に加えて、国連決議に基づく国際紛争解決のための活動(湾岸戦争が典型例)への参加があげられる。ただし、後者の場合は、我が国の憲法上の制約から、前線での戦闘参加は認めず、いわゆる「後方支援」に止めるべきであろう(ただし、「後方支援」という概念設定の是非を含めた参加形態のあり方については今後要検討)。

 政治の責任は、そうした自衛隊の海外派遣の原理原則を定める基本法、一般法策定の論議に入ることだ。その際、あくまでも「二度と戦争への道は歩まない」という視点を強く刻み込むべきだろう。

 ただ、いくら制度や原理原則等を決めても、それを運用するのは、あくまでも為政者であり、政治家だということだ。私が、海部、宮澤、村山、橋本政権の中でつぶさに観察してきた経験から、そのレベルが如何に低いものであるかについては先に述べた。今の選挙制度や民度等を前提にすると絶望的にも思えてくるが、そんなことは言っていられない。外交・安全保障政策は、国民の生命・財産に直接係わってくるからだ。

 その意味では、ある種、国民の運命共同体のような組織を官邸に設置する、この日本丸が浮くも沈むも、国民各界各層の知恵を結集し、その結果出した結論なら納得できる、そういうメカニズムを官邸に組み込むのだ。内政では、橋本政権当時、官邸に「経済財政諮問会議」を創設し、国家の司令塔たる役割を持たせたが、残念ながら、外交・安全保障の分野で、これに匹敵する組織はない。早急に、各省庁への指揮権を有する、民間・外部人材も登用した省庁横断的な「国家安全保障会議」の創設がのぞまれる。

 長々と書いてきた。このシリーズを結ぶに当たって、再び、今の日本の、国際社会での立場、姿を象徴するような言葉を書いて終わりにしたい。「ガキ大将の背中のうしろから指だけ出して、いつも『そうだそうだ』と言っているミソッカスは、クラスメートから尊敬、信頼もされないし、当のガキ大将からも軽蔑されることだろう」

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