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江田けんじ 衆議院議員 神奈川8区選出(横浜市青葉区・緑区・都筑区)

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シリーズ/野田「財務省政権」の何が問題か?・・・補論①財務省への名称変更

2011年10月24日  tag:

 私が、中央省庁の再編で、「大蔵省」から「財務省」への名称変更にこだわったのは、それが「誤ったエリート意識」を助長する象徴だったからだ。また、この21世紀、民主主義国家・日本の、新しい省庁体制をつくろうとしている時に、「大蔵省」という名称はまったくふさわしくないと考えたからだ。

 ちなみに、2001年1月を期してスタートした新しい霞ヶ関のために、各大臣が新しい役所の名前を看板に揮毫する中、宮澤喜一財務相(当時)は一人だけ、それを拒否したそうだ。旧大蔵省出身者である宮沢氏なりの精一杯の「不快感」の表明だったのだろう。結果、今の財務省の正面玄関に掲げられている看板の文字は、コンピューターグラフィックになった。

 ことほど左様に、大蔵官僚、そのOBにとって、「大蔵省」という名称には言い尽くせない思い入れがあることは事実なのだろう。しかし「たかが名称、されど名称」だ。そこには、時の為政者や、もっと言えば、人間一人一人の時代認識、ものの捉え方、感性などに深く係わる本質的な問題が横たわっているからである。

 まず、当時、大蔵省は、「大蔵」という言葉の由来が、ふるく律令制の時代からの由緒あるものだから残すべきだと主張した。一部識者もそれに同調した。たしかに、当時から「大蔵卿」「文部卿」というポストはあった。

 ただ、考えてもみてほしい。律令制の時代といえば、もちろん「国民」という概念はなく、民を民とも思わない、一種の奴隷制(部民制)と解することもできた時代だった。当時、民は、氏姓貴族や国造という支配階級から搾取を受けていたのであり、その搾取物(米穀や反物)が夥しく積まれていたのが大蔵の「蔵」だったのである。

 それが、どうして現代の、しかも中央省庁再編の、そして二十一世紀に向けて、新しい皮袋(新しい省庁体制)に新しい酒をいれようとしている時に、その皮袋の名称としてふさわしいと言うのだろうか。

 また、役所の名前を、こういう権威主義的な、仰々しいものにするから、役人が何か思い違いをするのだ。何も「公僕」である公務員が働く役所の名前を、大袈裟なものにする必要はない。国民の目線で、それにふさわしい適当な名前を考えればいいのだ。

 「財務省」という名称は、確かに味気ないものだが、公務員の「全体の奉仕者」という性格を考えれば、なかなかフラットでいい名前だと思う。「建制順」(役所の序列)で言っても、法務、外務、財務ときて、座りも良い。

 ただ、私も、何もこの名称にこだわるつもりはない。歴史、伝統といっても、権威主義的でない、真の民主主義社会における、ふさわしい由緒ある名前があれば、それをつければいいのだ。とにかく、国民の目線に沿っていない、人口にも膾炙していない、古色蒼然たる名称には反対である。財務省にある主計局、主税局、理財局などの名称も同様で、それぞれ予算局、税務局、財政投融資局に改称すればいいだろう。

 最後に、この「名称変更劇」にはとんでもない「後日談」があるので紹介しておこう。この名称問題にも、橋本政権が終わり、小渕政権になって、大蔵省の猛烈な巻き返しがあったのである。

 そもそも、中央省庁の再編時に、当時の小泉純一郎厚生大臣が、「四文字省庁は結局、『通産省』『農水省』のように二文字に短縮され呼ばれる。いっそ『名は体を表す』、簡潔な二文字で省庁名は決めた方がよい」と主張し、学識経験者での後日の検討にゆだねられていたのである。

 その経緯からして、その検討対象は、「労働福祉省」「国土交通省」「教育科学技術省」(何れも仮称)といった四文字以上の省庁名のはずだった。それが、小渕政権になって設置された、名称を検討する有識者懇談会で、かなり唐突な形で、「大蔵省」への再変更が答申されたである。

 当時の担当大臣、太田誠一総務庁長官の話によれば、大臣の「趣旨が違う」との制止を振り切って、懇談会座長の後藤田正晴氏が、強引に官邸に答申を持ち込んだというのだ。大蔵省が背後で、後藤田氏を動かしたのは明らかだった。99年初頭のことだった。

 当時、私は、橋本政権終了と同時に役人を辞め、「プータロー」として、ハワイで悠々自適の生活を送っていたが、この動きを察知して、橋本行革に携わった政治家、関係者に、遠いハワイの地から「遠隔操作」で「阻止」を訴えた。名称再検討の経緯や趣旨を無視し、ひたすら「省益」優先の、露骨な暴挙を絶対に認めるわけにはいかなかったからである。

 幸い、この件は、当時の小渕首相の決断で事なきを得た。その懇談会答申にも係わらず、最終的には、小渕首相と橋本前首相との直接会談で、中央省庁再編基本法どおり「財務省」と裁定したのだ。その理由が、政治家らしくふるっていた。「小渕内閣は、前内閣の橋本内閣と180度違うことばかりをやってきた。この点まで否定すれば、橋本内閣の全否定になる。それでは橋本さんに申し訳ない」。

 国会で一度は通った法律で明定され、当時大きな議論にもなっていなかった「財務省名称問題」が、時の、現、前首相二人の直接会談で決定されなければならないという事態にまで発展すること自体が、その背景にあるものを如実に示してはいる。(次週に続く)。

シリーズ/野田「財務省政権」の何が問題か?・・・⑥財政至上主義の蔓延
シリーズ/野田「財務省政権」の何が問題か?・・・⑤財務省の殖民地支配
シリーズ/野田「財務省政権」の何が問題か?・・・④財務省は富士山、他省庁は並びの山
シリーズ/野田「財務省政権」の何が問題か?・・・③予算査定権、査察権が権力の源泉
シリーズ/野田「財務省政権」の何が問題か?・・・②財政と金融の分離
シリーズ/野田「財務省政権」の何が問題か?・・・①橋本行革の最大の課題

・ 先週以前の「今週の直言」はこちら

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